紀元前218年、カルタゴの名将ハンニバル・バルカは、第二次ポエニ戦争の幕開けとなるイタリア遠征に向かう途上、ピレネー山脈を「ペルテュス峠(Col de Perthus)」と呼ばれる山岳回廊から越えました。
ペルテュス峠は、現在のスペインとフランスの国境付近に位置しており、古くからイベリア半島とガリア(現在のフランス)を結ぶ重要な交通路として機能してきた場所です。
なぜペルテュス峠だったのか?
当時、地中海沿いの海岸道路は敵対勢力によって厳重に警戒されており、大規模な軍隊が通過するのは極めて困難でした。そこでハンニバルはあえて内陸部のペルテュス峠を選択します。この戦略的な判断により、彼は敵の監視網を巧みにかわし、歩兵・騎兵、そして戦象からなる大部隊を迅速かつ効率的にガリア領内へ進めることに成功しました。
ピレネー越えのその後
ピレネー山脈の越境は比較的順調に進み、ハンニバル軍はその後ローヌ川を渡河し、さらに歴史に名を刻むアルプス山脈越えへと挑んでいきます。ペルテュス峠での越境は、後世まで語り継がれるハンニバルの遠征における、重要な第一歩となったのです。