エリー湖の戦いとテムズの戦いは、1812年に勃発した米英戦争(1812年戦争)において、密接に連動した軍事作戦でした。エリー湖での勝利がそのままテムズ川での追撃戦への道を開き、北西部の戦局を一変させたのです。
背景:米英戦争と北西部領土
米英戦争の勃発
1812年6月、アメリカ合衆国はイギリスに対して宣戦布告しました。その背景には、イギリス海軍によるアメリカ人船員の強制徴用(インプレスメント)、海上通商への妨害、北西部におけるイギリスと先住民族の結びつきなど、複数の不満が積み重なっていました。
北西部領土をめぐる攻防
現在のミシガン、オハイオ、インディアナ、イリノイ、ウィスコンシン各州にあたる北西部領土は、豊富な資源と戦略的な立地から、両国が支配権を巡って激しく争った地域です。この地域の帰属を決める鍵となったのが、エリー湖とテムズ川での二つの戦いでした。
エリー湖の戦い(1813年9月10日)
エリー湖で行われたこの海戦では、オリバー・ハザード・ペリー代将率いるアメリカ艦隊が、ロバート・ヘリオット・バークレー艦長指揮下のイギリス艦隊と対峙しました。
- アメリカ軍は決定的な勝利を収め、イギリス艦隊全体を捕獲または破壊しました。
- ペリー代将は「我々は敵と会した、そして彼らは我々のものとなった(We have met the enemy, and they are ours)」という有名な報告を送っています。
この勝利によりアメリカ軍はエリー湖の制湖権を確保し、カナダ方面への反攻に向けた足がかりを手に入れました。
テムズの戦い(1813年10月5日)
エリー湖での勝利を受けて、ウィリアム・ハリソン准将率いるアメリカ軍は、撤退するヘンリー・プロクター少将指揮のイギリス軍と、それに同行する先住民族部隊を追撃しました。
- 戦いはオンタリオ州モラヴィアンタウン近郊、テムズ川沿いで行われました。
- アメリカ軍はイギリス軍とその先住民族の同盟勢力を打ち破り、北西部領土におけるイギリスの影響力を事実上終わらせました。
- イギリス側について戦ったショーニー族の偉大な指導者テカムセは、この戦いで戦死しました。
二つの戦いの歴史的意義
- エリー湖の戦いとテムズの戦いにおけるアメリカの勝利は、米英戦争における大きな転換点となりました。
- これらの勝利は北西部におけるイギリスの勢力を打ち砕き、アメリカ国民の士気と自信を大きく高めました。
- 西部領土をアメリカが確保する上で決定的な役割を果たし、最終的には1814年12月に結ばれた講和条約(ゲント条約)へとつながりました。
このように、エリー湖の戦いは単なる海戦にとどまらず、陸上での追撃戦であるテムズの戦いへの布石となりました。二つの戦いが一体となって北西部の戦局を決定づけ、戦争の帰趨を大きく左右したのです。