古代の歴史

紀元前585年5月28日の日食――リディアとメディアの戦争を終結させた「日食の戦い」とタレスの予言の謎

メディア王国の台頭

メディア人は、現在のイラン北西部に起源を持つ民族で、やがてメソポタミアからアナトリア半島東部に至る広大な領域を支配するようになりました。紀元前678年頃にメディア王国が成立して以来、彼らは長らく新アッシリア帝国の属国であり続けました。しかし、紀元前616年から605年にかけて、バビロニア人・スキタイ人・キンメリオス人と同盟を組み、アッシリアを攻撃して歴史から抹消することで、その状況は終わりを迎えます。

リディア王国との衝突

その後メディアは勢力拡大を進め、紀元前579年頃には小アジアにおいてリディア人と衝突するに至りました。メディア帝国自体は、その約30年後の紀元前549年、祖父にあたるメディア王アステュアゲスに反旗を翻したアケメネス朝のキュロス2世(大王)によって征服されることとなります。

一方のリディアは、はるかに長い歴史を持つ王国でした。ヒッタイト帝国滅亡後の紀元前1300年頃に建国され、アナトリア西部とイオニア海岸沿いに定住していたため、多くの歴史家は彼らをギリシャ系民族、あるいは高度にヘレニズム化した民族と見なしています。

紀元前585年5月28日の日食――リディアとメディアの戦争を終結させた「日食の戦い」とタレスの予言の謎

ハリュス河畔の戦いと突如訪れた日食

両国の戦争中に、歴史のみならず科学史上も重要な出来事が起こります。すでに5年間にわたり戦火を交えていた両軍は、アナトリア東部のハリュス川(現在のクズルウルマク川)河畔で激突しました。

ヘロドトスによれば、リディア軍を率いたのは王アリュアッテス、メディア軍を率いたのは王キュアクサレスでした。戦いは膠着し、勝敗が決しないまま続いていましたが、正午から数時間経った頃、突如として空が暗くなり、昼が夜へと変わったのです。

ヘロドトスはこれを明確に「日食」とは記していませんが、ミレトスのタレスによって予言されていたと述べています。もっとも、リディア人にもメディア人にも、その知らせは届いていなかったようです。ほぼ間違いなく日食であったと考えられることから、歴史学者たちは天文学的計算に基づき、この現象が起きた日を紀元前585年5月28日と特定し、この戦いの正確な日付を割り出すことに成功しました。

紀元前585年5月28日の日食――リディアとメディアの戦争を終結させた「日食の戦い」とタレスの予言の謎

日食がもたらした和平

両軍はあまりの驚きにおののき、これを神の兆しと解釈して即座に武器を捨て、和平協定の締結に踏み切りました。

さらに条約の一環として、リディア王の娘アリュエニスとメディア王の王子アステュアゲス(後のキュロス大王の祖父)の婚姻が取り決められ、ハリュス川が両国の永久的な国境として定められました。

紀元前585年5月28日の日食――リディアとメディアの戦争を終結させた「日食の戦い」とタレスの予言の謎

タレスは本当に日食を予言できたのか

この日食が、もし本当に哲学者ミレトスのタレスによって予言されたものであれば、事前に正確な日付が特定された世界最古の日食記録ということになります。キケロや大プリニウスもこの見解を示しており、またディオゲネス・ラエルティオスによれば、タレスと同時代のクセノパネスがその予言に感銘を受け、デモクリトスやヘラクレイトスも同様であったと伝えられています。

しかしこれには疑問の声もあります。当時の天文学の知識では日食の予測は不可能だったとし、タレスの予言の信憑性を疑う研究者も少なくありません。そもそも、月が太陽の手前に割り込むことで日食が起きるという仕組自体、それから約1世紀後にアナクサゴラスかエンペドクレスによって初めて解明されたものです。

「月食」説という可能性

そうだとすれば、ヘロドトスが描いているのは日食ではなく、夕暮れ時の早い時間帯に発生した月食かもしれないとする説があります。直前の日々と同じく満月が昇るはずだと信じていた両軍にとって、月が消えていく光景は同じほど衝撃的だったでしょう。この仮説に基づくと、戦いの日付は紀元前587年7月4日、あるいは紀元前609年9月3日の可能性があり、いずれの日にも月食が発生しています。

サロス周期の謎

仮に日食を予測するなら、タレスはサロス周期(223朔望月からなる周期。これを経ると月と地球がほぼ同じ軌道位置へ戻り、日食が繰り返されうる)を知って応用するか、バビロニア天文学の深い知識を持っている必要がありました。

この周期に関する最古の記録は、カルデアの天文学者たち(紀元前626~530年)によるバビロンのもので、彼らはすでに日食が約18年の周期で起こることを把握していました。一方、カイサリアのエウセビオスは、サロス周期の発見者を紀元前350~270年頃に生きたカルデア人のベロッソスとしています。興味深いことに、紀元前87年までにはサロス周期に基づく機械的計算が、アンティキティラ メカニズムにすでに組み込まれていたのです。

しかし、タレスがどのような方法で予言を行ったのかを示す文献記録は一切残されておらず、それを再現しようとする現代の試みもすべて失敗に終わっています。古代最大級の「日食の予言」は、今なお厚い謎に包まれたままなのです。

紀元前585年5月28日の日食――リディアとメディアの戦争を終結させた「日食の戦い」とタレスの予言の謎