「センチュリー」と「サエクルム」、似て非なる二つの言葉
スペイン語の「シグロ(siglo)」は「100年間」を意味し、「センチュリア(centuria)」と同義です。この語は、フランス語のsiècle、イタリア語のsecolo、ポルトガル語のséculo、カタルーニャ語のsegleなどのロマンス諸語と同様、ラテン語のサエクルム(saeculum)に由来しています。
一方、ゲルマン系の言語では、英語のcenturyやドイツ語のJahrhundertといった本来の「百」を基礎とする語が同じ概念を表します(ノルウェー語・スウェーデン語のsekelは例外的にラテン語系のようです)。
しかし、この二つの違いは単なる形式上の問題にとどまりません。実は「シグロ」の語源となったラテン語のsaeculumは、当初から現在と同じ意味を持っていたわけではなく、ロマンス諸語の中で変化を重ねながら、今日の「世紀」へと意味を変えていったのです。
サエクルムとは「一世代」のことだった
デニス・フィーニー(Denis Feeney)は2007年の著書『Caesar's Calendar:Ancient Time and the Beginnings of History』の中で、エトルリアおよびローマ世界におけるサエクルムとは「一世代」、とりわけ「共同体に属する最も高齢な人物の一生として測られた世代」を指していたと説明しています。
つまりサエクルムとは固定された期間ではなく、その始まりさえ主観に左右される、可変的な時間間隔だったのです。

3世紀のローマの文法学者ケンソリヌス(Censorinus)は、著書『誕生日について(De die natale)』の中でこの点に触れ、「暦上の世紀」と「市民的・宗教的な世紀」を区別しています。当時のローマ国家は実務上の都合から後者を100年と定めていましたが、後にアウグストゥスがこれを110年に変更しました。

本来の算定方法はこうです。まず都市の建国の日を起点とし、その日に生まれた人々の中から最も長生きした人物を選び出します。そしてその人物が亡くなったとき、はじめてひとつのサエクルムが完了するとみなしたのです。この考え方は、ケンソリヌスがウァロ(Varro)に依拠して記録したものです。
カエサルの彗星は「第九サエクルムの終焉」の兆しか?
フィーニーによれば、紀元前44年、ユリウス・カエサルの死後に空を横切った大彗星を目撃したエトルリア人の占官(ハルスペクス)たちは、これを第九のサエクルムの終わり、第十のサエクルムの始まりを告げる徴と解釈しました。つまりカエサルこそ自らの世代の最後の人物であり、第八のサエクルムはすでに紀元前88年に終わっていたというのです。
十二のサエクルムと西ローマ帝国滅亡の不思議な一致
もちろん、これは単なる偶然以上の何物でもありません。しかし、それからおよそ450年後にも、驚くべき符合が起こります。ネストル・マルケス(Néstor Marqués)は近著のローマ暦と日常生活に関する本の中で、この出来事に言及しています。
伝説によれば、ロムルスが建国の際に目撃した12羽の鳥は、ローマが十二のサエクルム――すなわち約1200年の国運を授けられたことの象徴とされました。興味深いことに、ローマ人自身の計算によれば、この十二のサエクルム(サエクルムの複数形)が満了するのは紀元448年のことでした。
ところが、西ローマ帝国滅亡の日として伝統的に知られるのは紀元476年9月4日。両者の差はわずか28年しかないのです。

長寿伝説は「サエクルム」で説明できるのか
このサエクルムの概念は、歴史や伝説に登場する一部の人物が非常に長命だった理由を説明してくれるかもしれません。大プリニウスは『博物誌』の中で、記録に残る長寿者たちの事例を数多く挙げ、人間の寿命が時代や土地によって大きく異なることを示唆しています。
聖書に登場する人物たちの驚くべき長寿も、同じ視点から読み解くことができるでしょう。「世紀」や「年」といった時間の単位が、かつて私たちの現在の理解と同じように使われていたとは限らないからです。
参考文献
- A year in ancient Rome:The daily life of the Romans through their calendar(Néstor Marqués)
- Caesar's Calendar:Ancient Time and the Beginnings of History(Denis Feeney)
- Naturalis Historia(大プリニウス)
- De die natale(ケンソリヌス)
- Oxford Classical Dictionary
- Wikipedia