時間を測ることは、人類にとって非常に古くからの関心事でした。その起源は先史時代――正確には中石器時代――にさかのぼり、おそらく農耕のサイクルを把握する必要が原動力となっていたと考えられています。以来、あらゆる文化や文明が独自の暦を発展させてきました。独自に生み出したものもあれば、他のモデルを模倣したものもあり、太陽暦もあれば太陰暦もあり、純粋に計算のためのものもあれば、宗教的な色彩の濃いものもありました。
多くの暦に共通していたのは、1年を355日(イスラム暦やオスマン暦)から365日(エジプト暦、ユリウス暦、メシカ暦)の間の日数で区切り、さらに月単位にグループ化していた点です。月数はさらに幅広く、エジプト暦・ユリウス暦・インカ暦は12か月、マヤ暦は18か月でした。先スペイン期のメソアメリカの場合、暦は2つの体系――年代的な暦と儀礼的な暦(マヤにはさらに時代を数える第3の暦が存在)――の組み合わせで、これらを重ね合わせて用いていました。ちなみにマヤの1年は365.2420日であり、現在私たちが使う365.2425日(実際の太陽年は365.2422日)よりも正確だったのです。
西洋世界で現在使用されているのはグレゴリオ暦です。この名は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦に修正を加えるよう命じたことに由来します。ユリウス暦は紀元前45年、ユリウス・カエサルの指示のもと、アレクサンドリアの学者ソシゲネスが作成したものです。1日につき約2秒(1年に11分9秒)の誤差を抱えていることは、すでにニカイア公会議の時点で指摘されていましたが、サラマンカ大学による1515年と1578年の2度にわたる科学的報告書を受けて、聖座はついに改革を命じたのです。
その結果生まれたのが、ご存じのとおり1年を12か月に分け、各月を異なる日数に区分する仕組みです。月や曜日の名前は子どもの頃から学びますが、その命名の理由や由来については意外と知られていません。他の多くの事物と同様、その答えは古代ローマ、ひいてはギリシャにあります。順番に見ていきましょう。
1月(January)
名前の由来はヤヌス神です。ヤヌスは始まりや終わり、扉といった時間的な概念を司るローマの神で、前方を見つめる顔と後方を振り返る顔という、2つの顔を持つ姿で描かれました。年の初めには、また何か新しい事業に取りかかる際にも彼に祈願し、祭壇に菓子を供え、人々は蜂蜜やイチジクなどのご馳走を交換しあったといいます。
2月(February)
1年で最も短いこの月の名前は、フェブルア(februa)あるいはフェブルアティオ(februatio)と呼ばれるローマの浄化の祭りに由来します。この祭りはやがて、有名なルペルカリアという豊穣の儀式へと統合されました。起源はサビニ族にさかのぼるこの祭りは2月15日に行われ、悪霊を祓うことが目的でした。ときに狼の仮面を着けた裸の男たちが行列を行い、女性の見物客を(もちろん本人たちの同意のもとで)鞭で打ちました。これが女性の多産をもたらし、安産に恵まれると信じられていたためです。後になって、月の名前にちなんだ神フェブルス(Februus)という神格も生み出されました。
3月(March)
古い暦において年の始まりであったこの月は、軍神マルスにちなんで名付けられました。この時期に、翌年の軍事遠征へ向けた軍の編成が開始されたからです(遠征は10月に終わりました)。この月にはさまざまな儀式や祝祭が催されましたが、そこにはさらなる動機もありました。春分がこの月に訪れるからです(古代には、現在のような3月20~21日とは一致していませんでした)。冬の終わりを告げ、より温和な季節の到来を迎える喜ばしい時期でもあったのです。
4月(April)
いわば月の中の「珍鳥」で、名前の由来は定かではありませんが、諸説存在します。一つは詩人オウィディウスに由来する説で、動詞aperire(開く)の活用形の一つと結びつけ、「花が蕾を開き、春が本格化する時期」であることに由来するとするものです。もう一つの説では、ローマ人がこの月を呼んだaprilisを、ギリシャ語のaphrós(泡)に関連づけます。これは愛と美の女神アフロディテへの言及であり、そのローマにおける対応神であるウェヌス(ヴィーナス)がまさにこの時期に祀られていました。
5月(May)
春が最盛期を迎えるのが5月です。この月の名前は、暖かさと豊穣をもたらす女神マイア(ローマのボナ・デア)にちなむといわれます。彼女は豊穣・繁殖・繁栄を司るヘレニズムの女神で、その祭りがちょうどこの月に行われていました。ただし、これは一つの説にすぎません。同じ流れの中で、ヘルメスの母であるニンフのマイアに求める説や、Maius Juppiter(マユスはマキシムスの変形とされる)という表現に求める説もあります。一方、オウィディウスはmaiores(長老たち)だと主張しました。翌月6月のiuniores(若者たち)との対比です。
6月(June)
iunio(裸の若者)によって比喩的に表されてきた6月。伝統的には、ルキウス・タルクィニウス王政に対する反乱を率い、共和政への道を開いた政治家ルキウス・ユニウス・ブルトゥスにちなむとされてきました。彼は、デルフォイの神託(王の後継者となるのは最初に母に口づけする者である、という予言)を成就するべく大地に口づけしたことで、王の一族に迫害された人物です。
しかしこれは伝説の域を出ないようで、実際にはユピテルの后である女神ユノー(ギリシャ神話のヘラ)こそが、この月の名付け親だと考えられています。何しろ、前述の例と同じく、彼女の祭りがまさにこの時期に行われていたのですから。婚姻の神でもあった彼女のご加護を得ようと、多くの婚約者が6月に挙式を選びました(ただし常に後半に限られます。前半は不吉とみなされていたためです)。
7月(July)
前述のとおり、ユリウス・カエサルは暦を改革し、従来の355日よりも正確な、365日と6時間からなる年を確立しました。伝説によれば、彼は自分の生まれ月であるクインティリス(Quintilis)に組み込むため、2月から1日を削りました(その代償として、ビセクストゥム(bisextum)、すなわちうるう年に1日が加えられることになり、うるう年もこの改革で誕生しました)。紀元前44年、彼の暗殺後、この月は彼を讃えてユリウス(Julius)と改称されました。
8月(August)
続く月にその名を冠したのは、まさに彼の後継者オクタウィアヌス・アウグストゥスです。それまでセクスティリス(Sextilis)と呼ばれていたこの月は、紀元前27年に元老院から授かった「アウグストゥス(尊厳ある者)」の称号を記念するとともに、アントニウスとクレオパトラに対する勝利を祝って、後にアウグストゥスと改められました。ところが(おそらく中世に創作された伝説によれば)、当時この月は29日しかなく、新皇帝はカエサルに劣るのを望まなかったため、諸月の日数を増減させ、8月を7月と同じ31日にさせたといいます。付言すれば、他の皇帝たちも同様の真似を試みましたが、長くは続きませんでした。
9月、10月、11月、12月
1年の最後の4か月は、語源がすべて同じく数字に由来するため、まとめて確認しましょう。septem(7)、octo(8)、novem(9)、decem(10)。ラテン語を知らなくても意味はすぐ分かるでしょう(ユリウス暦以前のローマ暦は3月始まりで、1月と2月は後から追加されたことを思い出してください)。
曜日の名前の由来
ここまでは月の名前についてでしたが、曜日はどうでしょうか。こちらにも当然ながら歴史があります。ただし、その由来ははるかに均質です。曜日の名前は古代ローマで知られていた7つの天体(惑星)に基づいており、ヘレニズム占星術では、それぞれの夜明けを司る神々の名が与えられていたのです。
ギリシャの神々の体系は、のちにローマ人によって自らの宗教に置き換えられました。ヘリオス、セレネ、アレス、ヘルメス、ゼウス、アフロディテ、クロノスは、それぞれ太陽、月(のちにディアナ)、火星、水星、木星、金星、土星へと姿を変えたのです。日本語の曜日「日・月・火・水・木・金・土」は、まさにこれらの天体を直接表しており、その対応関係は一目瞭然です。
念頭に置くべきは、ローマの週は長らく7日ではなく8日制だったという点です。それは西暦1世紀から3世紀にかけて少しずつ移り変わりました。これは考古学的記録――「dies solis(太陽の日)」という表現を含むポンペイの落書きなど――や、プルタルコスの散逸した著作『なぜ週の日は惑星にちなんで名付けられながら、実際の順序とは異なる順序で並ぶのか』から推察できます。ご覧のとおり、1世紀の時点ですでに人々はこうした疑問を抱いていたのです。