古代の歴史

シラクサからマルケッルスへ――降伏を嘆願する使節団と市内の悲劇

背景:僭主ヒエロニムスの死とシラクサの動揺

紀元前214年、第二次ポエニ戦争のさなか、シラクサの僭主ヒエロニムスが暗殺され、長く続いた専制政治に終止符が打たれた。市民たちはローマとの和解へと舵を切ろうとし、会議ではローマ軍の総司令官マルクス・クラウディウス・マルケッルスのもとへ使節を送ることが決議された。

使節団の選出と出発

この決議には満場一致の賛成が寄せられた。ただし、使節はプラエトル(法務官に相当する高級官職)の中から選ばれる慣例であったため、まず新たにプラエトルを選出し、その中から使節を任命するという手順が必要とされた。こうして編成された使節団は、マルケッルスの陣営近くまで赴き、代表者が次のように語りかけた。

使節の演説

離反の責任はヒエロニムスにある

「シラクサがローマから離反した責めは、シラクサ市民ではなく、ひとえにヒエロニムスに帰すべきものです。彼はあなた方に対する以上に、我々自身に対して不敬でした。僭主の死によって両民族の間に平和が戻ったとき、それを再び乱したのはシラクサ人ではなく、専制の爪牙たるヒッポクラテスとエピキュデスでした。彼らは恐怖と裏切りによって我々を圧迫し続けたのです。我々はかつて自由であったためしがなく、安寧の日々などなおさらありませんでした。

しかし今日、圧政者たちの死によって、我々はついに自らの意志の主人となりました。だからこそ我々は、一刻も早くあなた方のもとへ参じ、武器を捧げ、人民を、都市を、城壁を引き渡し、さらにはあなた方が課されるであろうあらゆる条件に服することを申し出るのです。」

都の保存を訴える

「ギリシア諸都市の中で最も名高く、最も美しいこの都を陥落させたという栄誉は、神々があなた、マルケッルスのために取っておいたのです。我々が陸に海に成し遂げてきた記憶すべき偉業の数々は、あなたの凱旋の輝きをいっそう増すことでしょう。この都があなたの征服物となった今、その偉容を後世の人々が評判によってしか知り得ないようにされるおつもりですか。子孫たちにその壮観を目の当たりにさせず、世界のどこからか訪れる異邦人に、アテナイやカルタゴに対する我々の勝利、そして我々自身に対するあなた方の勝利の戦利品を見せる機会を奪うのですか。どうかシラクサ人をあなたの家門の被保護者(クリエンテス)として迎え入れ、マルケッルスの名の庇護の下に生きることをお許しください。」

ヒエロの記憶に訴えて

「どうか、ヒエロニムスの記憶が、ヒエロ王の記憶よりも強くあなた方の心に残ることがありませんように。ヒエロは、ヒエロニムスが敵となっていた期間よりはるかに長く、ローマの友であり続けました。あなた方は一方から多大な恩恵を受け、もう一方の狂気は、結局その当人自身を滅ぼしたにすぎなかったのです。」

裏で進む悲劇――傭兵たちの暴動

これらの嘆願は、ローマ側できわめて好意的に受け止められるはずであった。ところが皮肉なことに、シラクサ人が最大の危険にさらされていたのは、交渉の場ではなく、彼ら自身の市内においてであった。

亡命者たちは、自分たちがローマ人に引き渡されるに違いないと確信し、同じ恐怖を市内の傭兵たちにも植え付けていた。傭兵たちは一斉に武装すると、まずプラエトルたちの喉を掻き切り、続いて市中になだれ込んで住民の虐殺を始めた。怒りに駆られた彼らは、目につく者を手当たり次第に殺害し、手に届く物すべてを略奪していった。

やがて指導者を欠く事態を恐れた彼らは、六人の指揮官を任命した。三人は上城区アクラディネを、三人はオルティギア島を担当させるためである。こうして騒擾はようやく鎮静へと向かったが、傭兵たちは改めて「ローマ人との間で何が取り決められたのか」と問い質し、初めて自分たちの立場が亡命者たちのそれとはまったく別物であることに気づいたのである。

本記事は、リウィウス『ローマ建国史』に描かれた逸話をもとに再構成したものです。