ヴァンダル族の起源は、スカンディナヴィアにあるとされています。シリンガ族(Sillings)はユトランド半島北部から、ハスディンガ族(Hasdings)はオスロ湾から発祥し、ハスディンガ族も後にユトランド半島へ移住しました。ヴァンダル族に関する最初の文献記録は、古代ローマの歴史家タキトゥスによるものです。
バルト海沿岸から中欧へ
1世紀から3世紀にかけて、ヴァンダル族はバルト海沿岸、ヴィスワ川とオーデル川に挟まれた東ゲルマン地域に定住していました。この頃、彼らはゴート族やゲピド族といった他の蛮族諸民族と密接な関係を保っていました。
「ヴァンダル」という名称は、本来複数の蛮族集団を指しうるものでしたが、やがて二つの兄弟部族によって名乗られるようになります。ひとつは、その名が地名「シレジア」の由来となったシリンガ族、もうひとつはスロヴァキア方面へ到達したハスディンガ族です。なお、この時代には「ハスディンガ」の名は王族のみが称していた可能性もあると指摘されています。
騎馬民族への変貌とドナウ川流域での攻防
3世紀にドナウ川以北のスロヴァキア、パンノニアおよびイリュリアに対面する地域に定住したヴァンダル族は、サルマタイ人をはじめとする非ゲルマン系諸民族と約2世紀にわたって接触を続けました。広大な草原地帯に暮らしたこの時期に、ヴァンダル族はゴート族と同様に、名高い騎馬民族へと変貌を遂げたのです。
彼らはイラン系の遊牧民であるサルマタイ人、とりわけその主要部族であるアラン人と強い結びつきを築いていきました。3世紀半ば以降、ヴァンダル族はドナウ地方へ押し寄せる民族移動の大きな圧力の一翼を担うようになり、隣接するゴート族やサルマタイ人と同盟を組み、248年からドナウ川流域のローマ属州に対して数多くの攻撃を仕掛けるようになりました。
ローマ帝国との条約と帝国内への定住
271年、ローマ皇帝アウレリアヌスはドナウ川流域でゴート族とヴァンダル族を撃退し、その後ヴァンダル族との間に条約を締結しました。この条約により、ヴァンダル族はローマ軍団の補助兵として2000騎の騎兵を供給することになりました。
こうして一部のヴァンダル族の集団は、補助兵部隊の提供を条件に放棄された土地への定住を認められ、ローマ帝国内に居住するようになりました。西ローマ帝国末期を支えた名将の一人であるスティリコがヴァンダル系の出身であったのは、まさにこのような経緯によるものです。しかし、ローマ支配層に根強かった反ゲルマン感情により、スティリコはついに408年に処刑されてしまいました。