フラウィウス・オレステスとは
フラウィウス・オレステス(Flavius Orestes)は、ドナウ川の支流ドラーヴァ川沿いにあるパンノニアの町ペタウィオン(現在のスロベニア領プトゥイ)に生まれました。帝政宮廷と密接なつながりを持つ裕福なローマ人家族の出身で、若くしてフン族の王アッティラの側近となり、おそらくは書記官として重用されたと伝えられています。
アッティラの死と再起
453年にアッティラが死去すると、その息子たちが権力をめぐって争い、フン族帝国は急速に崩壊への道をたどりました。数年後、オレステスは西ローマ帝国のイタリア駐留軍の中核をなす同盟蛮族部隊(foederati)の指揮官として、再び歴史の表舞台に姿を現します。
息子ロムルス・アウグストゥルスの擁立
475年、オレステスは当時の皇帝ユリウス・ネポスを退位に追い込み、自らの息子である少年ロムルス・アウグストゥルスを帝位に就けました。自身は皇帝にはならず、パトリキ(貴族)の称号を保持したまま帝国の実権を掌握しました。
反乱と最期
しかし、傭兵として雇われていた蛮族兵たちは、指導者オドアケルに率いられ、イタリアの土地の3分の1の分配を要求するようになりました。オレステスがこの要求を拒否したことが引き金となり、軍は反乱を起こします。476年、パヴィーア包囲戦のさなかにオレステスは捕らえられ、処刑されました。
同年、オドアケルはロムルス・アウグストゥルスを退位させました。この出来事は、西ローマ帝国の事実上の滅亡を意味し、古代から中世への転換点として位置づけられています。