古代の歴史

古代ローマの宿駅と旅籠――街道沿いの休憩施設と倉庫

古代ローマでは、帝国全土を結ぶ街道網の維持のため、一定の間隔で休憩・宿泊施設が整備されていました。これらは主に国家の公用輸送制度である「クルスス・プブリクス(cursus publicus)」の利用者のために運営され、官吏や軍人、認められた旅行者が利用できました。

ムタティオ(乗り継ぎ所)

ムタティオ(mutatio)は、街道に10〜15kmごとに設けられた小規模な休憩所です。旅行者はここで簡単な休息を取り、疲れた馬やラバを新しいものに乗り換えることができました。あくまで短時間の立ち寄りを目的とした、軽装備の中継点でした。

マンシオ(官営宿駅)

3つのムタティオごと、すなわち約30〜50kmの間隔で、より大規模な「マンシオ(mansio)」が配置されていました。マンシオは「カウポ(caupo)」と呼ばれる管理人が切り盛りし、設備の整った中継拠点として、一晩の宿泊にも対応していました。

その敷地内には、食事を提供する宿屋、乗用の動物を休ませる厩舎「スタブルム(stabulum)」、蹄鉄や馬具の手入れをする鍛冶屋、さらに車両の修理・整備を担当する車大工まで揃っていました。まさに古代の「サービスエリア」と呼ぶにふさわしい総合施設だったのです。

アンノナのホッレア(国家倉庫)

こうした宿駅とは別に、「ホッレア(horrea)」と呼ばれる大型倉庫群が各地に存在しました。これらは「クラ・アンノナエ(cura annonae)」、つまり帝都ローマへの物資供給を司る国家機関が管理する貯蔵施設であり、首都へ送られる穀物をはじめとする重要物資がここに保管されました。街道と港を結ぶ物流ネットワークの中核を担う存在でした。

評判の悪い宿屋と、旅人の賢い選択

当時の宿屋(タベルナ、taberna)については、数多くの記録や文献が今日まで伝わっています。しかしタベルナの中には評判のきわめて悪い店も少なくなく、盗難やぼったくりを恐れた旅人は、むしろ近くで野営することを選ぶことも珍しくありませんでした。

より安全な選択肢としては、富裕層向けの公営宿泊施設「デウェルソリウム(deuersorium)」を利用する方法がありました。また最良とされたのは、紹介状を持参して個人の家庭に客として招かれる「ホスピティウム(hospitium)」、すなわち客人をもてなす互恵の慣習に頼ることでした。信頼できる知人からの紹介状があれば、無料で快適な宿と食事にありつけたのです。