
16世紀の宗教改革において、マルティン・ルターと並び称される存在こそ、フランス出身の神学者ジャン・カルヴァン(John Calvin)です。厳格な規律と「予定説」という独自の教義を掲げた彼の思想は、ジュネーヴを拠点としてヨーロッパ全土に広まり、後世のプロテスタント諸教会に多大な影響を与えました。本記事では、カルヴァンの生涯と、彼の中核思想である予定説について解説します。
ジョン・カルヴァンの生涯
ジャン・カルヴァンは1509年、フランス北部の都市ノワイヨンにあるカトリック教徒の家庭に生まれました。恵まれた教育を受ける機会に恵まれ、青年期にはルター派の人々との交流を深めるうちに、次第にプロテスタントの信仰へと傾いていきます。
1536年、フランスでは「貼り紙事件(Affaire des Placards)」を発端として宗教戦争が激化していました。そんな折、カルヴァンはジュネーヴへ向かい、そこで改革派の指導者ギヨーム・ファレルと運命的な出会いを果たします。ファレルはカルヴァンに対し、ジュネーヴ市民の改宗のために当地に留まるよう強く迫りました。
こうしてスイスに留まったカルヴァンは、黒い服の着用、装飾品の禁止、祝祭への参加自粛など、極めて厳格なカルヴァン主義の規律を街に施行します。しかしその厳しさに疲弊したジュネーヴ市民は、2年後にファレルとともにカルヴァンを追放しました。
追放されたカルヴァンはストラスブールへ移り、未亡人イデレット・ド・ビュールと結婚。彼女の連れ子たちを実子として温かく受け入れました。そして3年後、今度はジュネーヴ市民側から再びカルヴァンの帰還を求める声が上がることとなるのです。
予定説とは何か
プロテスタントの基本教理によれば、魂の救済は生前に行った善行や悪行の積み重ねによって決まるものではありません。救済をもたらすのは、神の存在を心から信じる確信です。
ところがカルヴァンは、この考えをさらに一歩押し進めました。彼によれば、永遠の命に至るためには単なる信仰だけでは十分ではなく、これが「予定説(predestination)」という概念につながります。予定説とは、一部の人間は誕生する前からすでに魂の救済へと定められており、一方で予定されなかった者にとって天国は永遠に閉ざされている――という厳粛な考え方です。
1552年、カルヴァンは『神の永遠の予定について』を出版します。これは、ルターが痛烈に批判した贖宥状(免罪符)をはじめ、永遠の命への「対価」として金銭を支払うあらゆる行為、すなわちカトリック教会の慣習を断罪するものでした。
カルヴァンとすべてのカルヴァン主義者にとって、魂の救済は信徒の真摯な信仰によって「無償で」保証されるものです。それこそが「ソラ・フィデ(sola fide)」――信仰のみによる救済の精神なのです。