
フランス軍、絶体絶命の危機
1745年5月11日、オーストリア継承戦争の帰趨を大きく左右することになったフォントノワの戦い。この日午前10時を過ぎた頃、フランス軍の状況は絶望的な様相を呈し始めていた。サックス元帥は事態を深く憂慮し、全軍崩壊が差し迫っていることを恐れ、国王ルイ15世に皇太子(ドーファン)を連れて後方へ退くよう進言した。ところが、自信に満ちたルイ15世――彼自身も優れた武人だった――はこう答えた。
「サックスなら必要なことは必ずやってくれる。……私は持ち場を離れない」
「地獄の縦隊」を破れず
これ以降、サックス元帥にとって唯一の活路は、フランス軍の正面を完全に突破してしまったイギリス縦隊の側面へ、騎兵による猛烈な反撃を仕掛けること以外に残されていなかった。騎兵は果敢に敵へ突撃したが、その突撃は破壊不能なイギリス軍の「塊」の前でことごとく砕かれた。敵は驚異的な結束力と、重厚な一斉射撃の見事な連携によって、突破口を開こうとする散開した部隊を次々と撃退したのである。
フランス軍の戦列では混乱が頂点に達していた。サックス元帥は病身にもかかわらず、死傷者数百名が横たわる戦場をひき続き駆け巡った。参謀将校の多くが相次いで戦死し、イギリス軍は1万4千人の兵力をもって進撃を続け、フランス軍のかなりの部分を潰走へと追い込んでいた。
敗勢を逆手に取った妙策
愕然としながら、サックス元帥は目の前で広がるフランスの敗北を見つめていた。騎兵の突撃は、その無謀とも言える勇猛さにもかかわらず、「地獄の縦隊」と呼ばれた敵の戦列の前で砕けていくばかり。午後の幕開けは、フランス騎兵部隊による効果の乏しい攻撃の連続で過ぎていった。イギリス軍は破壊不能の力を授かったかのように見えた。
後にサックスは、敵縦、敵縦隊が揺るがぬ理由についてこう説明している。
「敵がフォントノワを占領していないうちは、中央での成功はむしろ彼らにとって不利に働いた。足場となる拠点を持たないまま前進すればするほど、後方に置き去りにしたフランス軍に挟み撃ちにされる危険に部隊をさらすことになったからだ」
したがって、執拗な突撃によって敵を圧し続けることが不可欠であり、それは同時に総攻撃の準備に時間を稼ぐことにもつながったのである。
こうしてサックスは、敵の突出を抑え込めないなら、今度はそれを逆に利用しようと考えた。縦隊を縦に長く伸ばさせながら、前進に対しては弱い抵抗にとどめる――そうすることで「地獄の縦隊」をより脆弱な存在へと変え、何ものにも破られなかった鉄壁の外殻という性格を失わせるという発想だった。
国王の命運を賭けた時間との勝負
作戦自体は見事なものであったが、問題は実行に移せるかどうかにあった。サックスと国王の幕僚たち――その先頭に立つのは国王自身――が形勢を覆しうるあらゆる可能性を検討している間も、戦場ではフランスの各連隊がイギリス軍主力に対して突撃しては撃退され続けていた。すでに正面の複数の地点では弾薬が尽きかけつつあった。サックス元帥は再びアルクール公爵に、王と王太子を戦場から退避させるよう説得してほしいと懇願した。
仮にオランダ軍が、フォントノワとアントワンの間に布陣したフランス部隊を背後から攻略していたならば、1745年5月11日のこの日は、フランス軍の壊滅的な敗北で終わっただけでなく、わずか数時間前にポワティエの戦いに言及していたルイ15世自身が、かつてのジャン2世(善良王)のごとくイングランド軍の捕虜となる危険すら冒していたかもしれなかった。
現時点では、まだすべてを失ったわけではない。だが、行動は一刻を争うのだった。