古代の歴史

シャレー(アンリ・ド・タレーラン伯爵)― ルイ13世の寵臣が辿った悲劇的な最期

シャレー(アンリ・ド・タレーラン伯爵)― ルイ13世の寵臣が辿った悲劇的な最期

シャレーとはどのような人物か

シャレー(アンリ・ド・タレーラン伯爵、1599年生まれ)は、17世紀フランスの貴族です。ルイ13世の衣装長(ヴェルドゥリエ)を務め、王の側近として寵愛を受けた人物でした。しかしその一方で、彼は放縦で一貫性のない生活を送ったことでも知られています。

陰謀への加担と一度目の赦免

シャレーは当時の宮廷社交界で大きな影響力を持つシュヴルーズ公爵夫人の愛人であり、彼女との関係を通じて政治の渦中へと巻き込まれていきました。やがて彼は、リシュリュー枢機卿および国王自身に対する陰謀に加担するようになります。

ところが、この一件で彼は意外にも赦免されます。ただし条件が付けられました。それは、王弟ガストン・ドルレアンに対し、モンパンシエ令嬢との結婚を受諾するよう説得することでした。

二度目の陰謀と逮捕

しかしシャレーはこの約束を果たすどころか、むしろその逆の道を選びます。1626年、彼はアンヌ・ドートリッシュ王妃やガストン・ドルレアンらと結託し、新たな陰謀(いわゆる「シャレーの陰謀」)に関与したのです。

ほどなくして計画は密告され、シャレーは逮捕されました。

不当な裁判と残酷な処刑

裁判は極めて不公平なものでした。裁判官たちは「共犯者を告発すれば命を助ける」と約束し、シャレーはその言葉を信じて仲間たちの名を明かしました。それにもかかわらず、彼は死刑を宣告され、1626年にナントで斬首されたのです。

さらに伝えられるところによれば、担当した処刑人は未熟な新手であり、首と胴体を切り離すまでに34回もの打撃を要したといいます。このあまりにも悲惨な最期は、当時の人々に強い衝撃を与え、シャレーの名を歴史に刻むこととなりました。