マリー・ジョゼフ・ローズ・ド・タシェール・ド・ラ・パジュリー、通称ジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネ(Joséphine de Beauharnais、1763年6月23日 - 1814年5月29日)は、フランス皇帝ナポレオン1世の最初の妻にして、フランス皇后(在位:1804年 - 1809年)である。マルティニーク島トロワズレに生まれ、リュエイユ=マルメゾンで生涯を閉じた。
生い立ちと最初の結婚
父はパジュリー領主にして騎士のジョセフ・ガスパール・ド・タシェール(1735年 - 1791年)、母はローズ・クレール・デ・ヴェルジェ・ド・サノワ(1736年 - 1807年)。1779年12月13日、ヌイイ=ル=グランにおいて、フランス陸軍将校アレクサンドル・フランソワ・マリー・ド・ボーアルネ子爵(1760年 - 1794年)と結婚した。
この縁談は、もともとは姉のカトリーヌ・デジレーとの間で交わされていたものであった。しかしカトリーヌの早世により、代わりにジョゼフィーヌが嫁ぐことになったのである。夫妻の間には2人の子供が生まれた。
- ウジェーヌ・ローズ・ド・ボーアルネ(1781年 - 1824年):のちのロイヒテンベルク公家の祖となり、その子孫の多くはヨーロッパ各国の君主家と婚姻関係を結んだ。
- オルタンス・ウジェニー・セシル・ド・ボーアルネ(1783年 - 1837年):ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトに嫁ぎ、のちの皇帝ナポレオン3世の母となった。
ボーアルネ夫妻は長年にわたり別居状態にあり、1794年にアレクサンドル子爵がギロチン刑に処されたときも、夫婦は慢性的な経済難に苦しんでいた。革命期のジョゼフィーヌは、二人の子供を奉公に出して生計を立てていたという。
ナポレオンとの結婚
やがて彼女は総裁政府期の社交界を代表する女性の一人となり、実力者バラスの愛人にもなった。そして1796年3月9日、パリにおいて6歳年下のナポレオン・ボナパルト(1769年 - 1821年)と市民婚を結ぶ。ナポレオンは彼女のミドルネーム「ジョゼフ」を女性形の「ジョゼフィーヌ」と呼んで愛した。彼がイタリア方面軍総司令官に抜擢されたのは、ひとえにこの妻の人脈と働きかけによるところが大きいと言われる。
もっとも、総裁政府時代の夫婦生活は決して平穏ではなかった。遠征への同行を拒み、浮き名を流し続けたのはむしろジョゼフィーヌの方であったが、やがて状況は逆転する。今度は嫉妬に苦しむ側となったのである。思慮深さに欠けるところのあったナポレオンは、妻の取り巻きの女性たちの中から愛人を選ぶことを厭わず、それを察しながらも、ジョゼフィーヌはライバルたちの存在に耐えねばならなかった。
なお、統領政府の成立につながるブリュメール18日のクーデターは、シャントラン通りにあったジョゼフィーヌの邸宅で準備された。
皇后への戴冠
1804年5月18日、元老院は満場一致で帝政の樹立を議決し、ナポレオンを世襲の「フランス人の皇帝」と宣言した。同年10月30日、チュイルリー宮殿でジョゼフィーヌとの宗教婚を挙げた後、12月2日、パリのノートルダム大聖堂において、教皇ピウス7世の手により皇帝として戴冠した。ここに至る経緯には、ジョゼフィーヌの機転があった。離婚や廃后を恐れた彼女は、教皇の滞在中に「二人はまだ宗教婚を挙げていない」という情報を巧みに漏らし、挙式を実現させたのである。
戴冠式において、妻ジョゼフィーヌの頭上に自らの手で帝冠を載せ、皇后を宣言したのもナポレオン自身であった。
離婚と晩年
ジョゼフィーヌには前婚の子がいたため、ナポレオンは長らく自分が不妊であると思い込んでいた。ところが、妻の侍女がある男児――シャルル・レオン――を産んだことで、その確信は揺らいだ。王朝を樹立すべく、彼は妻との離縁を決意する。離婚は1809年に成立し、宗教婚も1810年に無効とされた。それでもナポレオンは、ジョゼフィーヌの皇后としての称号を保持することを許した。
離婚後、彼女は1799年に購入したマルメゾン城に隠棲した。1814年の春には、ヨーロッパ中の王侯たちがこの城を訪れている。植物学に情熱を傾けた彼女は、数多くの花卉をフランスに導入し、マルメゾンを見事な緑の庭園へと変貌させた。
一方、私生活では浪費癖があり常に借金を抱え、数百着ものドレスを所有するほどの美意識の持ち主でもあった。離婚後もナポレオンからの援助を受け続け、その死に際しては、王位に復帰したルイ18世が最後の負債の清算に応じたほどである。
そんな彼女の死因は、なんとも象徴的なものであった。ロシア皇帝アレクサンドル1世に庭園を案内しようと、薄手の夏服のまま出たことがもとで風邪をひき、それが肺炎へと悪化して命を落としたのである(1814年5月29日)。
ヨーロッパ王室に広がる血筋
ジョゼフィーヌの孫世代には、名だたる君主たちが名を連ねている。娘オルタンスを通じて、彼女は皇帝ナポレオン3世の祖母である。さらに、あまり知られていないことだが、息子ウジェーヌが子女たちを巧みに縁組させたことで、次のような顔ぶれが孫にあたる。
- スウェーデン王妃ヨセフィーナ
- ポルトガル王配アウグスト王子
- ブラジル皇后アメリー
- ロシア大公マクシミリアン
こうしてジョゼフィーヌの血筋は、今日のヨーロッパ諸王室の多くにも受け継がれているのである。