1896年、スイスに初めて「黒人村」と呼ばれる展示施設が建設されました。これはヨーロッパにおけるいわゆる「人間動物園(ヒューマン・ズー)」の先駆けとなるものでした。
産業博覧会と異国情緒
この「黒人村」は、工業化を主なテーマとした展示会の中に出現しました。当時の欧州社会にとって、遠い異国の文化は強い好奇心の対象であり、「黒人村」は博覧会にエキゾチックな彩りを添える存在として受け入れられました。それはまさに、植民地主義が築き上げた世界観の反映だったのです。
再現された「想像上の村」
注目すべきは、この村が現地の実際の姿ではなく、ヨーロッパ人が抱いていたイメージに基づいて再構成されたという点です。そこには「エキゾチックな」出演者たちが配されましたが、その描写はあまりにも大雑把で、結果的に原住民の文化や暮らしについての誤ったイメージを観客に広めることとなりました。
出演者たちはどのような扱いを受けたのか
1850年から1950年にかけて、こうした出演者たちはキャバレー、見世物小屋、各種博覧会などで展示され、自らの風習や出身地の文化を披露しました。
一般には、彼らが檻の中に入れられ、動物のように扱われたと考えられています。実際、ある興行師が原住民に米だけを与え続け、彼らを死なせてしまったという悲劇的な逸話も残っています。しかし一方で、記録によれば出演者の多くは自発的に参加し、ごく普通に給料を受け取っていたことも分かっています。
スイスにおける「黒人村」の歴史
1880年から1939年までの間に、スイスでは合計7つの「黒人村」が開設され、それぞれが異なる小屋群によって構成されていました。植民地をテーマとした最後の博覧会は、1931年に開催されました。こうした展示は、今日では差別的で非人道的な歴史として批判的に検証されています。