
イエンバイからフードアンへ――目標の変更
理想を言えば、フランス軍は要衝イエンバイの攻略を望んでいた。しかし、これまでの作戦と同様、十分な地上兵力も航空機も割けなかった。そこで目標はフードアンに変更され、この作戦には「ロレーヌ(Lorraine)」というコードネームが与えられた。
作戦構想
10月、歩兵と装甲部隊による攻勢により、フランス軍はフードアンまで30kmの地点まで進出していた。ここで空挺作戦が加われば、チャイ川(ソンチャイ。「sông」はベトナム語で「川」を意味する)両岸に積まれたベトミンの補給集積所を一挙に破壊できるはずだった。
計画では、落下傘部隊は11月9日午前中に降下し、川にかかる橋を奪取したうえで集積所を破壊する。一方、戦車と歩兵からなる救援縦隊は8日夜に出発し、両者が接触した後、利用可能なあらゆる手段をもって数日間かけて一帯を掃討し、その後ヴィエット・トリ方面へ撤退することになっていた。
敵情と投入兵力
この地域には、ベトミン第308師団と第312師団の基幹部隊(約400名)、第316師団の2個大隊、さらに120mm迫撃砲や105mm榴弾砲の一部が展開していた。
これに対し、デュクルノー大佐が指揮する空挺群は、司令部と3個大隊――外人部隊第1・第2落下傘大隊および植民地落下傘兵第3大隊――で編成され、各3門ずつの75mm無反動砲2個小隊、突撃舟艇班、爆破班が随伴した。輸送はハノイ近郊の2つの飛行場から、C-47輸送機53機が1日2往復して担うことになった。
降下区域の選定
2個大隊は9時30分に降下する予定で、うち1個大隊は司令部とともに川の北側の降下区域に降り立つことになっていた。しかし、この区域の選定は決して得策とは言えなかった。全長1,400m、幅220mの区域は灌木と背の高い葦に覆われ、その下には硬くて凹凸の激しい地面が隠れていたのである。南側の降下区域は1,000m×400mで、田園地帯が広がっていた。
周辺の村々の制圧は戦闘機に任せられ、B-26マーチン爆撃機が作戦期間中、上空に留まって支援した。14時30分にはさらに1個大隊が高度200mから北側の降下区域に降下する計画だった。降下区域の標識は、C-47到着の約3分前に軽航空機が投下する発煙弾によって示されることになっていた。
作戦の経過と戦果
作戦は成功した。橋頭堡は354名の落下傘兵によって確保され、損害は戦死7名・負傷16名のみ。負傷者は10日にヘリコプターで後送された。南側の降下区域では、ベトミンの小部隊が戦闘機の攻撃を受けている。17時頃には地上部隊との接触が成立し、以後、掃討と破壊作業のため全域の指揮権が地上部隊へ移された。
フランス軍が鹵獲したのは、迫撃砲34門、対戦車ロケット弾30発、機関銃40丁、短機関銃40丁、小銃250丁、57mm無反動砲2門である。興味深い戦利品となったのが1台のトラックだ。他のベトミン車両と同じくフランス製かと思われたが、調べてみるとソ連製の「モロトフ」トラックだったのである。
それでも「無視できる損失」
戦術的には手際の良い勝利だった。しかし、ベトミン側は事前に物資の大部分を退避させており、フランス軍が破壊できたのはごく一部にすぎなかった。大規模な兵力と航空力を動員しながら、敵に与えられた損害は「無視できる」程度にとどまったのである。この限界は、のちのディエンビエンフーの悲劇へとつながっていく。