古代の歴史

報道と現実の乖離――ケサン攻防戦が暴いたベトナム戦争報道の実像

1968年、ベトナム戦争の転換点となったテト攻勢。その最中、メディアが伝えた「報道」と、戦場の「現実」との間には、驚くほど大きな溝が横たわっていました。ここでは、ケサン包囲戦をめぐる報道を中心に、当時のジャーナリズムがいかに現実とは異なる物語を作り上げていたのかを検証します。

ケサンに生まれた「ディエンビエンフー症候群」

ケサンでは、記者たちがいわゆる「ディエンビエンフー症候群」を作り出しました。1954年、フランス軍がベトミンに壊滅的な敗北を喫したディエンビエンフーの戦いになぞらえ、彼らは米海兵隊と南ベトナム・レンジャー部隊からなる守備隊の「悲惨な末路」を絶えず予言し続けたのです。場合によっては、米軍司令部があえてそこに留まり戦い続けていること自体を非難する声さえ上がりました。

しかし、現実はどうだったのでしょうか。ケサンでは、ウェストモーランド司令官が指揮できた全戦力のごく一部――わずかに60分の1に相当する約6,000人の米軍・南ベトナム軍が、20,000人規模の北ベトナム軍を足止めしていたのです。

それにもかかわらず、記者たちは「敵がアメリカのかなりの戦力を釘付けにすることに成功した」と主張し続けました。そして見落としていたのが、この20,000人の北ベトナム軍は、都市部での共産勢力のためにこそ、はるかに有効に活用できたはずだという点でした。

「心理的勝利」という物語

公式発表が共産側の敗北を告げると、記者たちはこれに反論しました。「仮にそれが事実だとしても(彼らはそれを事実と認めようとせず、敵側の損害に関する公式数字を受け入れることも拒んだ)、共産側はいずれにせよ心理的な勝利を収めたのだ」と。

南ベトナムの言葉を話せなかった一部の記者は、自らの主張を補強するために、民衆を勝手に「精神分析」し、自分たちを守れない政府に対する幻滅があるはずだと「暴露」してみせました。

平定は「完全に殺された」のか

さらに、テト攻勢が国内の平定(パシフィケーション)計画に与える影響を実際に評価できなかったにもかかわらず、別の記者たちは平定が「ボロボロになった」「修復不可能だ」と断言し、さらには――なんという誇張でしょうか――平定は「完全に殺された」までも主張しました。

世論はむしろジョンソン大統領へ結集した

ところが興味深いことに、後の世論調査が示したところによれば、こうした報道はアメリカの大衆を戦争に敵対的にさせるどころか、むしろジョンソン大統領のもとへ結集させていました。多くのアメリカ人が離反したのは、大統領が共産側への強硬な報復を控えたときになってからだったのです。

メディアが本当に揺さぶったのは政権内部だった

メディアの活動が最大の効果を発揮したのは、下級公務員やワシントンの大統領顧問たちの間でした。議会の「タカ派」たちは沈黙し、「ハト派」はますます大きな声で鳴き始めました。

多くの公務員は、ある大統領特別顧問と同じように反応しました。彼は、サイゴンからの公式電文を目にするたび、前夜テレビで見た光景と比べると、それらが「ほとんど幻覚的」にすら感じられたと述べています。テレビが作り出したイメージと、現場からの公式報告とのあまりの落差――それこそが、当時のワシントンを覆っていた空気だったのです。