「龍の洞窟(ラ・カヴェルヌ・デュ・ドラゴン)」は、フランス北部ピカルディ地方エーヌ県、シュマン・デ・ダーム(貴婦人の道)沿いに位置する地下空間です。第一次世界大戦、とりわけ1917年のニヴェル攻勢において、戦略上きわめて重要な拠点となりました。
もともとは地下採石場だった
この洞窟は、元来シュマン・デ・ダーム台地の石灰岩を掘り出して造られた地下採石場でした。ソンム県からエーヌ県にかけて点在するこうした地下採石場は、現地では「クルート(creute)」と呼ばれています。兵士の避難所や野戦病院、司令部の設営場所として活用されたほか、ここ龍の洞窟のように前線防衛のための前哨拠点として使われることもありました。
戦略的な立地条件
龍の洞窟は、台地が最も細くなる「ユルトビーズ地峡」の近くに位置しています。さらに台地の端という立地ゆえ、エーヌ川の谷を見渡す広大なパノラマが一望できるのも特筆すべき点です。
ドイツ軍による要塞化
1915年1月25日、シュマン・デ・ダーム台地における陣地を強固なものとするため、ドイツ軍は洞窟への攻撃を仕掛け、これを制圧しました。以降、ここはフランス軍第一線から600メートル、海抜80メートル地点に構える前哨基地となります。
ドイツ軍はこの拠点を本格的に整備しました。電気と電話を引き込み、井戸を掘り、さらには礼拝堂まで建設しています。加えて、後方の補給線へと通じる坑道を掘削し、攻撃を受けた際には増援部隊や弾薬が迅速かつ安全に前線へ届き、負傷者も後方へ搬送できる体制を築き上げました。
ニヴェル攻勢とセネガル人部隊
1917年4月16日、ニヴェル攻勢の総攻撃が始まると、ユルトビーズ地峡の攻略に向かったセネガル人部隊は、龍の洞窟から打って出たドイツ兵の反撃に直面することになりました。不意を突かれたセネガル兵は混乱とパニックに陥り、進撃はそこで止まります。後方へ坑道でつながる無数の地下空洞の存在こそが、この攻勢が頓挫した一因であると説明されています。
フランス軍の反撃と「大勝利」
フランス軍は1917年4月から5月にかけて幾度も攻撃を繰り返し、ユルトビーズ地峡の一部塹壕を確保していました。6月25日、第164歩兵師団が地峡全域の制圧を目指す新たな攻撃を実施します。この戦闘のさなか、フランス兵は坑道の入り口を発見し、ドイツ兵を地下に閉じ込めることに成功しました。この一戦はフランス国内で大きな軍事的勝利として称えられました。
現在:第一次世界大戦博物館として
今日、龍の洞窟はエーヌ県議会によって整備され、第一次世界大戦をテーマとする博物館・記念館として一般公開されています。地下に残る当時の面影から、激戦の記憶を今に伝える貴重な史跡となっています。