古代の歴史

三国協商とは?英仏露同盟の形成過程と第一次世界大戦への影響

三国協商とは

三国協商(さんごくきょうしょう)とは、フランス・イギリス・ロシアの3か国が結んだ同盟関係を指します。ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアによる「三国同盟」に対抗する形で成立したこの軍事的同盟は、実態としては3か国間で交わされた複数の協定の総称でした。

三国協商の形成過程

露仏同盟(1892年~1893年)

まず、1892年8月17日にフランスとロシアの間で軍事協定が締結されました。その後、1893年12月27日には正式な露仏同盟が成立し、両国の協力関係の基礎が築かれました。

英仏協商(1904年)

数年後の1904年4月8日には、フランスとイギリスが「英仏協商(Entente Cordiale)」に調印しました。この条約は主として象徴的な意義を持つものであり、植民地における両国の勢力範囲を明確に定めることで、かつてのファショダ事件のような紛争の再発を防ぐことを目的としたものです。同時に、長年対立してきた両国間の外交的な接近を示す画期的な出来事ともなりました。

英露協商(1907年)

さらに、イギリスとロシアの間でも、中央アジアにおける利害調整として、アフガニスタンおよびイラン(ペルシャ)での勢力範囲に関する取り決めが交わされました。

三国協商の成立と歴史的影響

こうした3か国間の諸協定がひとつに統合され、1907年8月31日、正式に三国協商が誕生しました。ヨーロッパの外縁部に位置する国々によって構成されたこの同盟は、中央ヨーロッパの三国同盟と対峙する構図を作り上げ、ヨーロッパ列強間の緊張を一層高める結果となりました。そして、この対立構造は第一次世界大戦勃発の重要な要因の一つとなったのです。