古代の歴史

塹壕(ざんごう)とは?第一次世界大戦で本格化した戦場の「溝」の歴史と実態

塹壕とは、兵士を敵の攻撃から守る目的で地面に掘られた戦闘用の通路のことです。塹壕がこれほど大規模に使われたことは一度もなく、特に第一次世界大戦がその最たる例ですが、塹壕の歴史自体は同大戦から始まったものではありません。

近世以降の包囲戦と塹壕

近世(17〜18世紀)になると、要塞や都市を包囲する際に塹壕が掘られるようになりました。この時代の攻城術(ポリオルケティクス)は高度に体系化されており、拠点を攻略する前に、平行して掘られた塹壕を3系列にわたって構築するのが定石とされていました。

19世紀〜20世紀初頭の戦争と塹壕

19世紀から20世紀初頭にかけては、塹壕の使用が顕著だったいくつかの紛争があります。

  • クリミア戦争:特に1855年のセヴァストポリ包囲戦が有名です。
  • アメリカ南北戦争:1863年のヴィックスバーグ包囲戦、そして1864年6月から1865年4月にかけてのピーターズバーグ包囲戦などが挙げられます。
  • 南アフリカのボーア戦争

第一次世界大戦と750kmの連続戦線

1914年、フランス軍とドイツ軍が互いの陣地で膠着状態に陥ると、塹壕の使用は新たな次元を迎えました。北海からヴォージュ山脈まで約750キロメートルに及ぶ連続した戦線が形成されたのです。

塹壕の構造と防御機能

塹壕は、兵士を水平射撃や敵の視認から守るために設けられました。地面に掘られた溝であり、一列に並んで狙い撃たれるのを避けるため、ジグザグ状(千鳥状)に構築されているのが特徴です。塹壕内には待避所、監視所、救護所、機関銃座などが設けられ、これらには同じく地下に掘られた交通壕を通じてアクセスしました。

しかし、観測気球や偵察機の発明・活用、榴散弾(シャラプネル弾)の出現、さらに1914〜1918年に工業的に大量生産され大規模に使用された化学兵器によって、塹壕が提供する保護は相対的に脆弱なものになっていきました。

有刺鉄線と地下坑道戦

敵側から見れば、塹壕は有刺鉄線網などの障害物によって接近しにくいものとなっています。そこで任務を担ったのが工兵中隊でした。彼らは地下に坑道を掘り進み、可能な限り敵より早く敵塹壕の真下まで到達して爆薬を仕掛ける仕事をしました。今日でも旧「赤色地帯」と呼ばれる地域には、こうして生じた巨大なクレーター(通称「ポット」)の一部が残っています。

過酷を極めた塹壕生活

泥、ネズミ、シラミ、ハエといった劣悪な環境に加え、時には数メートル先で味方や敵が死にゆく様を目の当たりにする状況——こうした要因すべてにより、1914〜1918年の塹壕での生活は極めて過酷なものでした。これは「大戦」と呼ばれた第一次世界大戦の兵士たちに多くの心理的・健康上の深刻な後遺症をもたらす一因となりました。

戦後も残る環境リスク

終戦後、多くの塹壕や隣接する掩体(カズマート)は不十分な埋め戻しや清掃のまま放置され、場合によっては危険な廃棄物(弾薬、不発弾など)で満たされていました。その結果、数十年後にも地盤崩落を引き起こすことがあり(例:北ヨーロッパ高速鉄道「TGV Nord」の建設工事中の事例)、現在も環境リスクの源として残り続けています。