
十一年式軽機関銃と九六式軽機関銃
1941年から1945年にかけて日本陸軍が使用した重機関銃は、フランスのホッチキス重機関銃をベースに細部を改修した派生型でした。日本は独自の軽機関銃を製造していましたが、その設計思想は常にホッチキスの作動原理に着想を得たものでした。
十一年式軽機関銃――独自のホッパー給弾方式
日本初の軽機関銃となる十一年式(6.5mm口径)は、1922年に制式採用され、1945年まで使用され続けました。外観上はホッチキスとの類似性が顕著で、特に大型の放熱フィン付き銃身にその特徴が表れています。一方、内部機構についてはやや相違が見られました。この銃は南部麒次郎中将によって設計されたため、連合国軍の間では「南部機関銃(ナンブ)」の名で広く知られていました。
十一年式最大の特徴は、独創的な給弾システムにありました。機関部左側に漏斗状の給弾ホッパーを備え、歩兵分隊の他の隊員が使用する小銃実包をそのまま補給弾として利用できる仕組みです。実包は5発入りの挿弾子(クリップ)ごと直接装填でき、専用の弾倉や弾帯が不要になるという合理的な発想でした。
しかしこの利点は、機構の脆弱性によって大きく損なわれました。威力の強い小銃実包をそのまま使用したため給弾不良が頻発し、日本軍は装薬量を減らした減装弾の使用を余儀なくされます。さらに実包への注油システムを採用しましたが、これが砂塵などを呼び込み、かえって機構の詰まりを招く結果となりました。
また、十一年式は自動射撃のみに対応しており、射撃時には給弾ホッパーの重量偏りが銃全体のバランスを崩し、取り扱いが難しい武器でもありました。日本は50発用ホッパーを備えた派生型の九一式車載軽機関銃も製造しましたが、その欠点は1930年代初頭の日中戦争(支那事変)での戦訓によって明らかとなり、新型の九六式軽機関銃が部隊へ配備されることになります。
九六式は旧型に比べて明白な改良を多数盛り込んでいましたが、十一年式を完全に置き換えるには至りませんでした。日本の産業基盤は、単一のモデルを全軍へ行き渡らせるのに十分な数量を生産できなかったのです。
九六式軽機関銃――ホッチキスとZB vz.26の融合
作動方式の面では、九六式は従来のホッチキス系の設計と、中国戦線で接する機会のあったチェコ製ZB vz.26軽機関銃の要素を組み合わせたものでした。特にZB vz.26からは、十一年式のホッパーに代わる箱形弾倉による給弾システムを採用しています。ただし注油システムはそのまま保持されたため、機構詰まりのリスク自体は解消されていませんでした。
一方で、九六式は極めて迅速な銃身交換機構を備え、複数種の望遠照準器も用意されました。照準器は実戦ではまもなく使われなくなりましたが、弾倉給弾方式は定着しました。さらに九六式には、この種の火器としては世界でも類を見ない特異な装備――銃身先端に固定された銃剣座――が設けられていました。軽機関銃に銃剣を装着する実用性については、当時から疑問視する声が少なくありませんでした。