古代の歴史

「独ソ戦は14日間で勝利した」――ハルダーの誤算とソ連軍の予想外の激抗

「独ソ戦は14日間で勝利した」――ハルダーの誤算とソ連軍の予想外の激抗

ドイツ軍は無抵抗に進軍したわけではない

ドイツ軍がまったく抵抗を受けることなく進撃したと考えるのは大きな誤りである。むしろその逆で、ソ連軍は猛烈な抵抗を見せた。ただし、彼らには連続的で強固な防御戦線を築く余裕がなかったのである。

リバウ(リエパーヤ)の防衛戦

ラトビアの工業都市であり軍港でもあるリバウ(リエパーヤ)の防衛者たちは、戦争史に輝かしい一ページを刻んだ。急ごしらえで武装した労働者の部隊や分遣隊は、10日間にわたって市内で持ちこたえたのである。海兵隊、戦車、砲兵、航空兵力の支援を受けたドイツ第291歩兵師団を食い止め、バルト海沿岸に沿って進攻するというドイツ軍の作戦計画を挫折させた。

伝説となったブレスト要塞の攻防

ミンスクへ向かうドイツ軍の主攻撃路を扼するブレスト要塞(ブレスト・リトフスク)の防衛戦は、ついに伝説となった。開戦翌日、ドイツ国防軍最高司令部(O.K.W.)はすでにブレスト陥落を発表していた。ところが、雑多な部隊と国境警備隊の分遣隊からなる守備隊は、旧城塞に包囲されながらも、1か月にわたってドイツ第45歩兵師団の猛攻を撃退し続け、相手に甚大な損害を与えた。

地上のみならず、城塞の地下室や地下通路においても死闘が繰り広げられた。戦いが終わったのは、水も糧食も弾薬も尽き果て、負傷した将校と兵士からなる小さな一団だけが残されたときであった。

ペレムィシュリ(プシェミシル)の奪還

南翼、リヴォフ西方に位置する町ペレムィシュリ(プシェミシル)の防衛者たちもまた、英雄的な戦いを見せた。敵は6月22日に市内へ侵入したが、翌日にはソ連部隊によって駆逐された。その後、ソ連軍が同市を明け渡したのは6月29日のことであり、これは隣接する前線区画での悪化した情勢を踏まえ、最高司令部の命令による撤退であった。

国境警備隊の粘り強さと大胆な反攻

ソ連の国境警備隊も恥じることのない戦いぶりを示した。ドイツ軍がある拠点を奪取するまでには数日を要したのである。例えばウラジーミル・ヴォリンスキーは11日間持ちこたえ、守備隊全員が倒れた後になってようやく敵の手に落ちた。

さらにソ連軍は防御にとどまらず、力強い反撃も実施した。ルーツク=ブロディ=ロヴノ地域では大規模な戦車戦が展開された。この方面の司令部は、4個機械化軍団の兵力を集結させて反攻に打って出たのである。これらの部隊は依然として旧式のT-26やBT-5戦車を装備しており、定数の3分の1程度の装備しかない状態だったにもかかわらず、敵の攻勢を数日間にわたって遅滞させることに成功した。

「14日間で勝利した」という誤算

とはいえ、ドイツ国防軍の進撃は止まらず、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナの大部分、そしてモルダビアからなる広大な領土を比較的短期間で征服していった。自軍の成功を過大評価し、赤軍の戦力を過小評価していたドイツ軍司令部は、勝利が目前にあると確信していた。1941年7月3日、参謀総長フランツ・ハルダーは日記にこう記している。

「……誇張ではなく、ロシア戦役は14日間で勝利したと言えるだろう。」