古代の歴史

ドイツ空軍の完全な制空権下でも――1941年、バルチック艦隊はこうして生き残った

ドイツ空軍の完全な制空権下でも――1941年、バルチック艦隊はこうして生き残った

しかし、それはすべて幻想にすぎなかった。一見華々しいドイツ軍の成功の裏には、あまりにも大きな代償が隠されていたのである。

ドイツ軍を直撃した甚大な損失

攻勢開始からわずか22日間のうちに、ドイツ装甲部隊は保有戦車の半分以上を失っていた。さらに航空機に至っては、7月19日の時点ですでに1,284機が行動不能となっていた。閃電戦の栄光は、その実、消耗との綱引きだったのだ。

そして7月から9月にかけて、独ソ戦線の全正面にわたって大規模な戦闘が展開されることになる。

北西正面――タリンとレニングラードへの攻撃

北西正面では、ドイツ軍が二つの目標に向かって攻勢をかけた。ひとつはバルチック艦隊の主要基地であるタリン、そしてもうひとつがレニングラードである。

海軍からの支援を受けたソ連軍は、8月28日までタリンを死守し続けた。だが、レニングラードに迫りつつあった脅威に対処するため、最高司令部はついに市からの撤退を決断する。守備隊は命令に従い、海上経由でタリンを離脱したのである。

クロンシュタットへの決死の航海

ここで艦隊に課されたのが、フィンランド湾岸のクロンシュタットへの移動だった。この作戦は、ドイツ空軍が空を完全に支配するという、極めて苛酷な条件下で強行された。

結果は悲惨だった。参加した軍艦・輸送船・補助船あわせて195隻のうち、実に53隻が失われたのである。それでも敵が達成できなかったことがひとつだけある。それはバルチック艦隊の壊滅だ。血まみれになりながらも艦隊はクロンシュタットにたどり着き、やがてふたたび戦列に復帰し、レニングラード防衛戦で重要な役割を果たすことになるのである。