古代の歴史

スターリングラードの戦いとその余波――第二次世界大戦の転換点

包囲戦術とソ連軍の粘り強い抵抗

パウルス将軍率いる枢軸軍は、一時的にせよスターリングラード市域の九割を支配下に置いた。しかしそれでも、彼らはソ連軍の驚異的な精神的強靭さと巧みな包囲戦術を前にしては無力であった。

この包囲戦術は、13世紀にロシア・ヴァリャーグの公アレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破った際の戦法に着想を得たものとも言われる。ネフスキーの武勇は1938年にセルゲイ・エイゼンシュテインによって映画化され、独ソ協定の破棄後には、スターリンの命令により反ドイツ宣伝の一環としてソ連国内で広く流布されていた。

大戦の帰趨を決した転換点

スターリングラードの戦いは、第二次世界大戦における決定的な転機となった。北アフリカを除けばそれまでほぼ無敗を誇っていたドイツ軍にとって、この地こそが「終わりの始まり」であったのである。

戦争の最中に差し込んだこの希望の光は、ヨーロッパ各地の人々の心に深い感銘を与え、戦後におけるソ連の威信を高める大きな一因となった。解放の時代において、多くのフランス人は、スターリングラードでの勝利に続くソ連軍の反攻を、ノルマンディ上陸作戦と同等にヨーロッパ解放へ貢献したものと見なしていたのである。

薄れゆく記憶、しかし残る証

今日では、ソ連の崩壊や「スターリン」という名が帯びる否定的なイメージの影響もあり、スターリングラードの記憶はノルマンディ上陸作戦のそれに比べて次第に薄れつつある。

それでもなお、世界各地に残る数々の「スターリングラード大通り」や、同名のパリ地下鉄駅は、この戦いが人々の心に刻んだ衝撃の大きさを今も物語っている。これらはスターリン主義思想への忠誠を示すものではなく、歴史の転換点となった激戦の記憶を留める証なのである。