古代の歴史

ロンドンからのメッセージ――モントゴメリーの大胆な空挺作戦計画

ロンドンからのメッセージ――モントゴメリーの大胆な空挺作戦計画
モントゴメリーはついに自らの作戦計画を練り上げた。それは、一連の空挺作戦によってドイツ軍防衛線の「殻」を打ち砕くというものであった。オランダ国境からライン川に至る間に点在する橋を次々と奪取することで、イギリス第2軍がオランダ全土を横断して北ドイツ平原へ迅速に進撃する道を開き、ライン川とマース川の渡河問題を回避するとともに、ライヒスヴァルトの森地帯で終わるジークフリート線の陣地群を迂回しようというのである。この構想は、後に「マーケット・ガーデン作戦」として知られることになる。

モントゴメリーが、アメリカ第12軍集団司令官オマール・ブラッドレー中将に対し、両軍の戦力を結集して40個師団からなる圧倒的な塊を形成すれば、北東への進撃を阻むものは何もないだろうと提案したのは、今回が初めてではなかった。

しかし、政治的・軍事的な理由から、アイゼンハワー総司令官はその説得を受け入れなかった。北への攻勢が、ルール地方へ向けた最終行動のための良好な海港を確保しうる点は認めつつも、南で順調に前進していたパットン中将の第3軍の進撃を止めるのは不適切だと考えたのである。アイゼンハワーはこう述べた。「ライン川には、連合軍の全戦力をもって到達する。それ以後の攻勢については、補給と増援の到着という問題を解決してから考えるべきだ」と。

与えられた一定の優先権

とはいえ、アイゼンハワーはモントゴメリーにある程度の優先権を与える用意があった。ドイツ侵攻の成功には、海峡の港湾諸港とアントウェルペンを自由に使用できることが不可欠の前提条件だったからである。すでに、アメリカのブレレトン中将の指揮下に第一連合空挺軍が創設されており、大規模な空挺作戦を実施する態勢は整いつつあった。

9月初旬、驚異的だった連合軍の進撃はついに停止し、モントゴメリーは空挺部隊の出番が来たと確信していた。

奪取すべき5つの橋

奪取目標となる橋は5つあり、うち2つは運河に架かっていた。ひとつはウィルヘルミナ運河(オランダ国境から約40キロ)、もうひとつはさらに15キロ北のズート・ウィレムス運河である。残る3本は、マース川、ワール川、ネーデル・ライン川(下部ライン川)に架かる橋だった。

空挺軍の第101空挺師団は、アイントホーフェンとウデンの間の約30キロ区間に降下し、2つの運河橋を奪取して両者を結ぶ道路を確保する任務を負った。第82空挺師団は、グラーフェのマース川橋とナイメーヘンのワール川橋を目標とする。そして最後に、アルンヘムに降下するイギリス第1空挺師団が、この地点で幅150メートルに及ぶネーデル・ライン川の渡河点を確保することになっていた。

野心的な構想の利点と反対論

もちろん野心的なこの計画には、想像力の欠如など一切なかった。もし成功すれば、連合軍が得る利益は甚大である。ジークフリート線を側面から迂回できるだけでなく、ドイツ本土へ向けた絶好の前進基地を獲得でき、同時に、地上軍がゾイデル海(現在のアイセル湖)に達した時点で、オランダに残るドイツ軍を包囲することも可能になる。

当然ながら、この計画には反対者もいた。ブラッドレー将軍は、ドイツ本国へ至るこの「脇道への突出」を軽蔑し、第2軍と第1軍の間に危険な隙間が生じることを懸念した。また、情報機関からオランダ、とりわけアルンヘムとナイメーヘン周辺でのドイツ軍の活動活発化を報告されていたデンプシー将軍は、オランダへ単独で「接線方向に逸れる」よりも、東方のアメリカ軍担当区域でヴェーゼル方面のライン川に向けて一撃を加える方が賢明だと考えていた。

決定打となったロンドンからの電文

9月10日、デンプシーは自らの見解を主張するためモントゴメリーを訪ねた。しかしモントゴメリーは、ロンドンから「ハーグ周辺のV2発射基地を無力化する手立てはないか」と問うメッセージを受け取ったばかりだと答えた(そのわずか2日前の9月8日、最初のV2がロンドンに落下していたのだ)。もはや議論の余地はなかった。攻撃は北へ向かうことになったのである。

少なくともデンプシーは、この決定の一つの側面については満足できた。彼の軍が進む路線は予測困難なものであり、まず敵こそが驚かされるに違いない。その上、空挺作戦はイギリス軍基地から妥当な距離で実施されることにもなった。

アイゼンハワーの懸念

アイゼンハワー自身も、当初はこの計画に積極的ではなかった。モントゴメリーの案は、輸送航空部隊をその重要な補給任務から引き離すことを前提としていたからである。彼は後年こう記している。
「航空兵力を補給任務に留めておく方が有利かどうかを正確に判断するのは難しかった。だが一つだけ確かなことがあった。飛行機の用途を変更するならば、装備と搭乗員を新しい任務に備えさせるため、空挺作戦を数日遅延させざるを得なくなるということである。」

それでも彼は、南へ戦線を広げ、地中海から北上してきたアメリカ第6軍集団の部隊との合流を目前に控えていたパットンの行動に対し、空挺作戦と北方への機動に絶対的な優先権を与えることは、断固として拒否したのである。