
世界の注目を集めたスペイン内戦
スペイン内戦は、3年にわたって国際政治・外交のあらゆる場面に影を落とし、ファシズムと共産主義という急進的な思想に全世界の視線を集中させ、多くの面で第二次世界大戦の予兆となった戦争でした。その中でも最大かつ最も激烈な戦いの舞台となったのが、首都マドリードです。
マドリードの攻略は、必ずしも軍事的な必要に迫られたものではありませんでした。しかし、スペインの首都を制する者が、国民や諸外国の目に「同国の正統な政府権力の代表者」と映ることは明白でした。マドリードが共和派の手に留まり続ける限り、反乱軍(ナショナリスト)側が正当な政権の担い手として公式に承認される望みはなかったのです。
1936年総選挙と「人民戦線」政権の誕生
1936年の総選挙により、わずか5年間で28番目となる政権が誕生しました。左翼諸政党の連合体「人民戦線(Frente Popular)」は、極度に緊張した社会情勢の中で選ばれました。当時のスペインでは、政治的対立と殺人事件、政党本部や新聞社への襲撃、ストライキが日常的に発生していたのです。
しかし、この政権は前任者たちよりもさらに劇的な形で「崩壊」することになります。無政府主義者や共産主義者、ファシストや王党派といった過激な政治組織は、立憲政府の転覆を目論んで秘密裏に武装を進め、暴力行為を重ねながら共和国とその政府に対して立ち上がりました。
権力奪取を狙う秘密結社の暗躍
早くも1936年7月には、複数のグループが権力の奪取と、自らの利害やイデオロギーに基づく国家の樹立を企てていました。
こうした地下組織の中で最も危険とされたのが、王党派組織「スペイン軍事同盟(U.M.E.)」です。1931年、将校たちによる「秘密グループ」として結成されたこの組織は、軍事独裁政権を通じて秩序と規律を確立することを目標としていました。その一方で、軍内部に「革命的な気運」を醸成する活動にも力を注ぎ、クーデターへの下地を着実に築いていったのです。