クフラとは
クフラは北アフリカのリビアに位置するオアシスで、座標は北緯23.3度、東経22.9度です。リビア南西部のきわめて辺境の地にあるこのオアシスは、三方を窪地(低地帯)に囲まれているという特異な地形を持ちます。サハラ砂漠の深部にありながら、歴史上重要な役割を果たした場所でもあります。
クフラの戦い(1940年〜1941年)
1940年12月21日、フィリップ・ルクレール大佐の指揮する約400名からなる「ルクレール縦隊」が、フェザーン地方へ向けた作戦行動を開始しました。自由フランス軍による最初の本格的な攻勢の一つでした。
軽偵察パトロール隊は1941年2月7日にクフラへ到達し、観察結果を部隊本隊に報告しました。それによれば、リサンダー12機とブレニム6機を含むフランス空軍によるクフラへの爆撃は、大きな戦果を挙げていなかったといいます。
同年2月16日、フランス軍がクフラ近郊に到達し、イタリア軍のサハラ機械化中隊「サハリアーナ・ディ・クフラ」を撃破しました。ここからクフラ包囲戦が始まります。
巧みな陽動作戦
セッカルディ中尉が指揮するわずか1門の山砲75mm砲は、1日に数十発を射撃しながら絶えず位置を移動させました。これにより敵に対して、あたかも大規模な武装部隊が攻撃を仕掛けているように見せかけたのです。同時に、偵察パトロールが防御陣地の弱点を探り続けました。
10日間に及ぶ戦闘に疲弊したイタリア軍は、遂に交渉を試みます。ルクレールは降伏の場合には名誉ある扱いを与えることを約束し、イタリア軍を指揮する大尉はこの提案を受け入れ、要塞の降伏文書に署名しました。
遠く離れたこのクフラの戦いは、その後BBC(英国放送協会)によって賞賛をもって報じられました。
クフラの誓い
翌日の1941年3月1日、部隊の指導者として確固たる地位を築いたフィリップ・ルクレール大佐は、部下たちとともに「クフラの誓い」を立てました。
「我々の旗、我々の美しい旗がストラスブール大聖堂の上にはためくまで、決して武器を置かないことを誓う。」
ルクレールはこの誓いを守り抜きました。1944年11月23日、彼は第2装甲師団を率いてストラスブールを解放し、3年半前に砂漠の中で交わした誓いを実現したのです。