「都市ルネサンス」は、文化ルネサンスや商業ルネサンスとならぶ、ルネサンス運動を構成する重要な流れの一つでした。
イタリア・ルネサンスは、14世紀から17世紀にかけて数世紂にわたりヨーロッパの精神を支配した、経済・芸術・文化の一大運動であったことを思い起こす必要があります。都市ルネサンスは、まさに中世都市、すなわち「ブルゴス(Burgos)」の繁栄と発展と深く結びついた現象なのです。

カルカソンヌの中世都市(フランス)
歴史的背景:概要
中世後期(10世紀〜15世紀)と呼ばれる中世最後の時期、ヨーロッパは政治・経済・社会のあらゆる分野で大きな変革期を迎えていました。そして1453年のコンスタンティノープル陥落は、中世の終わりと近世の幕開けを象徴する出来事となりました。
この時代は、封建制度の衰退によって特徴づけられます。封建社会は基本的に二つの身分集団から構成されていました。すなわち、土地を所有する領主(封建領主)と、その領地で働き暮らす農奴です。封建社会は身分制に基づいており、社会的移動は存在しませんでした。農奴として生まれた者は、農奴として死ぬのが運命だったのです。
封建領主の上位には、国王・貴族・聖職者という権力を握る三つの集団が位置していました。国王が最高権力者であり、次いで貴族(重要な人物たち)、そしてカトリック教会の宗教的権力と結びついた聖職者が続きます。
この支配層は民衆に対して明確な特権を持っていました。政治・経済・宗教に関する事柄への関与は彼らに限られ、書物による知識の独占も同様でした。読み書きができたのは、ごく一部の人々だけだったからです。
さらに見逃せないのは、聖地解放を掲げた十字軍に起因する人口動態の変化です。十字軍に参加した人々の多くは、結局のところ仕事も土地も金銭も失い、社会の周縁に追いやられました。一方で、農業技術の向上(輪作、水車、犂の改良など)は、自給自足経済を営む荘園における人口増加を促す重要な要因となりました。
こうした状況の中、十字軍(11世紀から13世紀にかけて行われた宗教的・経済的・軍事的遠征)を契機としたヨーロッパ交易路の発展と、とりわけ地中海における香辛料交易の活発化により、ブルゴス(小規模な中世城塞都市)の繁塞都市)の繁栄が顕著になっていきました。それまでブルゴスは、王・貴族・司教・一部の商人が居住する、荘園に従属した宗教的・軍事的中心地にすぎませんでした。
こうした流れの中で、封建制度の厳しく閉鎖的な環境に不満を抱いた一部の農奴たちは、自由な賃金労働によるより良い生活を求めて、ブルゴスへ逃亡(あるいは領主によって追放)していきました。
商業ルネサンスとの密接な関係
都市ルネサンスは商業ルネサンスと不可分の関係にある点に注目しましょう。ブルゴスの成長は、定期市と呼ばれる商業の場を通じて交易が拡大し始めて初めて本格化したからです。
こうして、物々交換(バーター)に基づく封建的自給自足体制は、商品販売を軸とする商業関係へと取って代わられました。都市の発展と経済システムの進化(貨幣と銀行の登場)がこれを後押しし、収入源と生産関係は大きく拡大していきました。
さらに、封建制の農業的・身分的性格は、社会的移動を伴う都市化と階級構造へと道を譲ることになります。
これとともに登場したのが「ブルジョワジー」という新しい社会階級です。彼らは労働を通じてより良い生活水準を獲得しようとする人々で、鍛冶屋、仕立て屋、靴職人、職人といった商人層によって構成されていました。
「ブルジョワ」「ブルジョワジー」という名称が「ブルグ(burg)」という語に由来することも興味深い点です。ブルジョワと呼ばれるようになったのは、まさに彼らがブルゴスの住民だったためなのです。
まさにこの商業的・文化的・都市的な活況の中で、職人たちは「同業組合(ギルド)」(同じ職業に従事する人々の組織)を創設し、商人たちは「中世ギルド」(異なる職業の人々の協会)や「ハンザ」(商人同盟)を設立しました。なかでもハンザ同盟は特に有名です。
最後に、「コムーナル運動(自治都市運動)」は、依然として封建領主の支配下にあった村落の解放と自治獲得を目指すブルジョワの闘争を示すものでした。
フランスやイタリアの諸都市がこの対決に参加し、「コムーン(communes)」と呼ばれました。こうして都市は少しずつ自治を勝ち取り、封建制の農村体制に終止符を打っていったのです。
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