古代の歴史

バイバルス(ザーヒル・ルクン・アッディーン):エジプト・マムルーク朝の英雄スルタン

バイバルスとは

バイバルス(ザーヒル・ルクン・アッディーン・バイバルス、1223年頃〜1277年7月1日)は、エジプトのバフリー朝マムルーク王朝のスルタン(在位1260年〜1277年)。キプチャク草原出身の奴隷兵から身を起こし、モンゴル軍を撃退し、十字軍国家を滅亡へ追い込んだ中世イスラム世界屈指の名将として知られています。「弩弓手」というあだ名でも呼ばれました。

奴隷からスルタンへ

バイバルスは1223年頃、黒海以北のキプチャク地方(現在のウクライナ周辺)に生まれました。1240年代のモンゴル侵攻の混乱の中で捕らえられ、奴隷としてダマスクスで売られた後、エジプトへ送られます。そこでアイユーブ朝のスルタン、マリク・アッサーリフ・アイヤーブの親衛隊に入り、厳しい軍事訓練を受けました。

1250年、彼はアイユーブ朝打倒のクーデターに積極的に参加し、先代スルタンの息子トゥーラーン・シャーの暗殺にも関与。こうして成立したマムルーク朝のもとで頭角を現していきます。

アイン・ジャールートの戦い

マムルーク朝のスルタン、クトゥズに仕えていたバイバルスは、1260年のアイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を破る大勝利を収めました。この勝利により、エジプトは直前にバグダードが受けたような壊滅的な被害を免れることになります。

カイロへの帰還後、シリア総督の地位を与えられなかったことに不満を持ったバイバルスはクトゥズを倒して自らスルタンを宣言。さらにアッバース家の生き残りの一人、ムスタンスィル・ビラーを傀儡カリフとして迎え入れました。実権こそなかったものの、これにより王朝にはカリフによる正統性という大きな威信がもたらされました。

内政改革と行政手腕

有能な行政官でもあったバイバルスは、海軍の創設や常備軍の整備、道路網の復旧、そして優れた郵便制度の組織化など、数々の改革を実施しました。

十字軍国家との戦い

その治世における最大の目標は、十字軍国家——すでに衰退していたその残存勢力——の完全な破壊でした。このため彼はビザンツ帝国とルーム・セルジューク朝の中立を取り付けています。

1261年に攻勢を開始すると、まずケサリア(カイゼリ)を占領(1261年2月)。続いてテンプル騎士団の要塞サファド(1266年7月)、ヤファー(1268年3月)、そして1271年2月8日には名高い「騎士城」クラック・デ・シュヴァリエを攻略しました。

十字軍側はモンゴルとの同盟を結んだため、バイバルスは10年間の休戦協定の締結を余儀なくされます。しかし彼はこの期間を利用して、1272年に北シリアの要塞マスヤードをアサシン教団から奪取し、さらにカッパドキアのケサリアをセルジューク朝から奪いました。

死と遺産

モンゴルの脅威と十字軍の残存勢力に対する中東イスラム圏復興の立役者となったバイバルスは、アラブ世界で広く親しまれる騎士道物語『シーラト・アル=マリク・アッ=ザーヒル』の主人公としても語り継がれています。

1277年、バイバルスはダマスクスで毒殺されました。スルタン位を自らの一族による世襲制にしようとした試みも、最終的には失敗に終わっています。