古代の歴史

バーニシア王国とは?アングロサクソン王国の興亡と歴代王一覧

バーニシア王国とは?アングロサクソン王国の興亡と歴代王一覧

7世紀におけるバーニシア王国とデイラ王国の拡大

バーニシア(古英語では「ベオルニカ/Beornica」)は、現在のイングランド北部からスコットランド南部にあたる地域に存在したアングロサクソン人の王国です。6世紀に成立し、7世紀初頭には隣接するデイラ王国と統合されて、ノーサンブリア王国を形成しました。

その領土は当初タイ川以北から始まり、やがて北はフォース湾にまで達したとされています。西方への拡張も進み、ブリトン語を話すレゲド、ゴドディン、ダンバートンといった各王国の領域へと勢力を食い込ませていきました。王国の主要な王宮は、リンディスファーン島の近くに位置するバンバラ城でした。

国名の由来と歴史

「バーニシア」という名称は、ウェールズ語の「ブリナイフ(Brynaich)」あるいは「ブリネイフ(Bryneich)」に由来すると考えられています。このことから、アングロサクソン人が到来する以前の5世紀には、すでに同じ名を持つブリトン人の王国がこの地域に存在していた可能性も指摘されています。

604年、エゼルフリス(Æthelfrith)がデイラの王位をおそらく武力によって奪取しました。デイラの王子エドウィンは東アングリアへの亡命を余儀なくされます。エゼルフリスは両王国を支配し続けましたが、616年か617年の戦いで戦死し、その後はエドウィンがバーニシアとデイラ双方の支配者として後を継ぎました。

しかし633年、エドウィンはハットフィールド・チェイスの戦いで、グウィネドの王カドワロン・アプ・カドファンとの戦闘の中で命を落とします。両王国はそれぞれ新たな王を選出し、バーニシアではエゼルフリスの子イーンフリス(Eanfrith)が即位しました。ところが翌年、彼はカドワロンとの交渉に向かった際に殺害されてしまいます。

イーンフリスの弟オズワルド(Oswald)が王位を継承し、ヘヴンフィールドの戦いでカドワロンを打ち破ると、バーニシアとデイラは再び統一されました。以降、両王国はノーサンブリア王国として一体のものとなっていくことになります。

バーニシア歴代王一覧

王国の起源については不明な点が多く、初期の王とされるエサ(Esa)やエオッパ(Eoppa)が実在した人物であることを裏付ける史料は存在しません。年代記に最初に登場する王は547年のイダ(Ida)ですが、当時の史料は不正確で断片的、ときには互いに矛盾しているため、以下の在位年はおおよその目安として捉えるべきでしょう。

  • 547年〜559年:イダ(Ida)
  • 559年〜560年:グラッパ(Glappa)、イダの子
  • 560年〜568年:アッダ(Adda)、イダの子
  • 568年〜572年:エゼルリック(Æthelric)、イダの子
  • 572年〜579年:テオドリック(Theodric)、イダの子
  • 579年〜585年:フリスウアルド(Frithuwald)
  • 585年〜592年:フッサ(Hussa)
  • 593年〜616年:エゼルフリス(Æthelfrith)

633年〜634年:イーンフリス(Eanfrith)、エゼルフリスの子