エセックス王国とは
エセックス王国(Kingdom of Essex)、別名東サクソン王国(Kingdom of the East Saxons)は、中世初期のイングランドに存在したアングロサクソン人の王国であり、いわゆる「七王国(ヘプターキー)」の一つに数えられます。
その領域は、北をストウ川、南をテムズ川に挟まれた地域に位置し、現在のエセックス州にほぼ相当します。さらに王国の版図は、ロンドン市を含むミドルセックス地方やサリー州の一部にも及んでいました。最盛期には、隣接するケント王国の一部を一時的に支配下に置いたこともあります。
強国に翻弄された小国の歴史
しかしながら、エセックス王国はその存在期間の大部分において、周囲の強力な隣国——ケント、イースト・アングリア、そしてマーシア——に対して従属的な立場を余儀なくされていました。独立した勢力として振る舞えた時期は限られており、大国間の勢力均衡の中で浮沈を繰り返した小国でした。
王国は825年、イングランド南東部がウェセックス王エグバート(Egbert of Wessex)に服属した際に歴史の表舞台から姿を消し、以後はウェセックスの支配下に組み込まれていきました。
キリスト教への改宗
エセックス王国は7世紀にニカイア信条に基づく正統派キリスト教を受容しました。この改宗の最初のきっかけを作ったのは、アングロサクソン人のキリスト教化を目的としてローマからイングランドへ派遣された「グレゴリウス宣教団」のメンバーであるメリトゥス(Mellitus)です。彼は初代ロンドン司教に就任し、後に第3代カンタベリー大司教へと昇任した人物として知られています。
ただし、エセックスにおけるキリスト教化は一朝一夕に成し遂げられたものではありません。改宗は複数の段階を経て緩やかに進行し、当時の為政者たる王の意向によっては、サクソン人固有の多神教信仰への回帰(異教復活)も度々見られました。こうした揺り戻しを繰り返しながら、王国は次第にキリスト教社会へと同化していったのです。