古代の歴史

藩王国に対するパキスタンの罠(2)

藩王国に対するパキスタンの罠(2)

「そなたらの子供たちだ」――風刺画に描かれた独立直後のインド

インドの独立宣言後、風刺画家デイヴィッド・ロウはロンドン『イブニング・スタンダード』紙に「Your Babies Now(そなたらの子供たち)」と題する漫画を発表し、インドの指導者たちが直面していた藩王国問題を見事に描写しました。この作品では、ネルーとジンナーがそれぞれ別々の椅子に腰掛け、膝の上には数人の子供が乗っている姿が描かれています。

イギリスはユニオン・ジャックを掲げて立ち去っていく乳母として表現されました。そしてネルーの膝に座る子供たちは、暴れ回り泣き叫びながらネルーの膝を蹴り飛ばす「藩王国の諸問題」として描かれていたのです。

ジンナーの陰謀

一方、国民会議派が藩王国に対して強硬な政策を打ち出すと、ムスリム連盟は対照的に極めて柔軟な姿勢を示しました。これはムスリム連盟にとって都合の良い戦略でした。ジンナーは、できるだけ多くの藩王国に独立を宣言させ、あるいはパキスタンへの加盟を促すことで、インド連邦を恒久的に弱体化させようと画策していたのです。

ジンナーは諸王侯に対し、「国民会議派こそがムスリム連盟と藩王国の双方にとって共通の敵である」と吹き込みました。さらに、ラージャースターナーの藩王国を魅力的な条件で誘惑し、パキスタンへ引き込もうとしました。ジンナーは「ムスリム連盟は藩王国の内政に一切干渉しない。仮に藩王国が独立国として存続しても、連盟からいかなる厄介ごとも持ちかけられることはない」とまで公言しています。

その一方で連盟は、ラージャースターナーの王侯たちの間で「ヒンドゥー主導のインド連邦ではなく、パキスタン側につくべきだ」という秘密裏のプロパガンダ工作を進めていました。マウントバッテンも、ハイデラバードのニザームに対しては非常に融和的な態度を取っていました。こうしてジンナーはコーフィールドやボパールのナワーブなどを利用しながら、インド弱体化のための工作を着実に進めていったのです。

一部のヒンドゥー系王侯たちのパキスタンへの態度

トラヴァンコールのマハーラージャは、1947年6月11日に商務使節団をパキスタンへ派遣することに同意しました。またジョードプルのマハーラージャや多くの小規模藩王国の支配者たちは、大藩王国による反乱がどのような帰結を迎えるのかを慎重に見守り、その結果次第で自らの進むべき道を判断しようとしていました。

バローダのマハーラージャ、プラタープ・シンの罷免

バローダのマハーラージャ、プラタープ・シンは、サルダール・パーテール宛てに自筆の書簡を送りました。そこには「自分がインド国王に立てられ、インド政府が自分の要求をすべて受け入れるのでない限り、ジュナーガドのナワーブの反乱鎮圧に対していかなる協力も支援も行わない」と記されていました。これを受けて、インド政府はプラタープ・シンのマハーラージャとしての承認を取り消し、代わりにその息子ファター・シンをバローダの新たなマハーラージャとして承認しました。

インド政府の強硬な態度を目の当たりにした王侯たちは、おとなしい臣下のように振る舞うようになりました。藩王国の併合を阻止する目的で結成していた国家連合も解散されることとなりました。彼らはもはや、インド政府と直接交渉し、その保護を受ける以外に生き残りの道がないことを悟りました。反乱を起こす臣民の意向に翻弄されながら統治者として細々と生き続けるよりも、インド政府の傘の下に入る方がはるかに得策であると考えるようになったのです。