古代の歴史

インド土侯国に対するパキスタンの罠(3)

インド土侯国に対するパキスタンの罠(3)

ボーパール・ナワーブの陰謀

ボーパール藩王国のナワーブ、ハミドゥッラー・ハーンは、表向きは中立を装いながら、実際には親ムスリム・親パキスタン・反国民会議派(コングレス党)の立場で密かに暗躍していた人物である。しかし、インド分割が確実視されるようになると、第三勢力の指導者であったこのナワーブはついに本性を現し、公然と分離主義的な全インド・ムスリム連盟を支持するようになり、ジンナーの側近顧問の座に就いた。

彼が加わったのは、ジンナーが描いた次のような計画である。すなわち、各藩王国の君主たちをできるだけ多くパキスタンへ引き込むか、さもなくば自国の独立維持を宣言させるというものであった。藩王国担当省の書記官A・S・パイは、サルダール・パーテール宛ての覚え書きの中で、「ボーパールのナワーブはジンナーの仲介人(ブローカー)のように振る舞っている」と報告している。

藩侯院議長という要職にあったボーパール・ナワーブは、新総督マウントバッテン卿に対し、自分は国民会議派を憎んでおり、同党が支配するインドとは一切関わるつもりはないと明言した。インド分割が決定すると、その破壊工作はさらに激化した。ナワーブはジョードプル、インドール、ウダイプルの君主たちを自陣営に引き入れようとした。それは、自らの藩王国と地理的に隣接する領域を確保し、それをパキスタンへ引き渡すためであった。

ナワーブの狙いは、ボーパールからカラチに至る沿道の諸邦による国家群を形成し、これをパキスタンに合併させることにあった。そこで彼はジンナーの同意を得たうえで、バローダ、インドール、ボーパール、ウダイプル、ジョードプル、ジャイサルメールの各藩王国をパキスタンの一部とする計画を立案したのである。

この計画にとって最大の障害となり得たのは、ウダイプルとバローダであった。そこでジョードプルのマハーラージャは、当該諸邦の同意を取り付ける責任を自ら引き受けた。こうして、インド分裂の地図が描かれ始めたのである。

陰謀に加担したダオルプルのマハーラージャラーナー

ボーパールのナワーブ、ハミドゥッラー・ハーンは、ヒンドゥー系藩王国をパキスタンへ併合する計画に、ダオルプルのマハーラージャラーナー、ウダイバハン・シングを参入させた。ウダイバハン・シングは、ジャート族の主要藩王国の君主として、学識豊富で聡明かつ有能な支配者と見なされていた。しかし彼は、いかなる代償を払ってでもダオルプルをインド連合に編入されることだけは受け入れようとしなかった。そこで彼はジンナーに接近したのである。

ジンナーの合図を受けると、ナワーブとマハーラージャラーナーは、ジョードプル、ジャイサルメール、ウダイプル、ジャイプルといった藩王国の君主たちと話し合い、ジンナーとの面会へと招き入れた。ナワーブを支持するヒンドゥー君主の中には、アールワールのマハーラージャも名を連ねていた。

アールワール藩王国におけるパキスタン加入の推進

アールワールのマハーラージャもまた、ボーパール・ナワーブを支持するヒンドゥー君主の一人であり、それはボンベイでの演説からも明らかであった。つまり一方では、アールワール藩王国内でムスリム連盟の政治活動が推進され、他方では、同国のラージプート首長や地主(ザミーンダール)たちが、「アールワールはインド連合にもパキスタンにも加わらず、独立した存在として存続すべきだ」という運動を展開していたのである。

さらに、特定の利害関係を持つ一部の人々は、マハーラージャの心中に「アールワールは決してインド連合国家に組み入れられてはならない」という考えを植え付けていた。こうした一連の動きの結果、アールワール藩王国はインド連合への加盟について失望色を強めていった。

カレー(Khare)は次のように記している。もしムスリム連盟の要求どおりパンジャーブ全域がパキスタンに編入されていたならば、アールワール藩王国の国境はパキスタンと接することになっていたはずだ、と。しかし、パンジャーブの分割により東パンジャーブがインド側に残ったことで、この可能性は消滅した。それでもアールワールの君主は自説への固執を続けた。

1947年4月16日から17日にかけて、全インド土侯国民衆評議会(All India Indigenous State Praja Parishad)の会議がグワーリヤルで開催された。

この会議において、アールワールのマハーラージャは、土侯国に向けたネルーの厳しい声明に言及し、次のように述べた。

「今日、我々を滅ぼそうと企む者たちに、なぜ協力せねばならないのか。我々はこの国民会議派の指導者たちを恐れている。彼らは我々を破壊するだろう。その一方で、ムスリム連盟は、土侯国の独立は妨げられないと確かな保証を与えてくれている。では、なぜ彼らと会ってはならないのか。この件に宗教は何の関係もない。我々が熱心なヒンドゥー教徒であろうとも、パキスタンで会談したところで、我々のヒンドゥトヴァにどんな影響があるというのだ」

アールワールのマハーラージャは演説で何を語ろうとも、1947年7月1日、藩王国首相がサルダール・パーテールと会談した後、藩王国内閣はインド連合への加盟を正式に決定した。そして同じ日のうちに、電報と書簡によってインド政府へその旨が通知され、アールワール藩王国のインド連合憲法委員会への参加が公示されたのである。