1929年に始まる「世界大恐慌」について記事を書く前に、前提となる知識を押さえておきたいところです。前回は株式会社と証券会社の仕組みについて解説しました。
しかしそれだけでは、まだ大恐慌を語るには十分ではありません。
そこで今回は、大恐慌が起こる直前の世界――とりわけアメリカの状況について掘り下げていきます。
「狂騒の20年代」とは何か
大恐慌以前のアメリカには、「ローリング・トゥエンティーズ(Roaring Twenties)」、日本語でいう「狂騒の20年代」と呼ばれる時代がありました。アメリカはかつてない好景気に沸いていたのです。
日本でいえば、約30年前のバブル経済を思い浮かべると分かりやすいでしょう。バブル崩壊前の日本は、後に不況を迎えても経済への打撃が相対的に小さいほどの勢いがありました。
ここでは、そんな「狂騒の20年代」について見ていきます。
その背景にある第一次世界大戦
1920年代は、第一次世界大戦(1914~1918)が終わって間もない時代でした。
第一次世界大戦は、フランスやイギリスなどを含む連合国(協商国)と、ドイツ帝国などを含む同盟国(中央同盟国)との戦いで、主戦場はヨーロッパでした。
それでは、各国がそれぞれどのような状況にあったのかを見ていきましょう。
ヨーロッパ各国の事情
第一次世界大戦以前の主要国の状況を整理してみます。
イギリスの場合
イギリスは産業革命が世界で最初に起こった国であり、軽工業を主体としながら、早くから金融の中心地としての地位を確立していました。
フランスの場合
- イギリスと地理的に近いためイギリス製品が数多く流通しており、産業革命は漸進的(少しずつ進む形)に進んだ
- 1870~71年の普仏戦争で敗北し、国内は政治的混乱に陥った
- 莫大な賠償金の負担により、ドイツほどの投資ができなかった
ドイツの場合
ドイツは産業革命の出発が遅れたため、株式会社の設立基準を緩和し、重化学工業を重視する政策をとりました。
このような状況ですから、ドイツとイギリス・フランスのどちらが戦争で有利かは想像がつくでしょう。実際、ヨーロッパの戦場ではドイツ優位の場面が多かったと言われています。
連合国側はロシアとも共闘していましたが、長期化する戦況に耐えきれず、ロシア革命によってロシアは崩壊します。これによりドイツ東部の戦線(東部戦線)は自然消滅し、ドイツは戦力を西部に集中できるようになりました。とはいえ西部ではすでに塹壕が築かれており、正面からの攻撃は困難でした。そこでドイツは兵站(補給線)攻撃へと方針を転換し、戦況は大きく動くことになります。
アメリカの場合
第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパであり、アメリカは当初中立の立場をとっていました。
アメリカの上流階級は、イギリス貴族との結びつきが強かったこともあり親連合国的な傾向がありましたが、国内事情(アメリカは移民国家であり、ドイツからの移民も多かった)を考慮し、中立を保っていたのです。
産業革命の段階でいえば、アメリカはドイツやフランスと似た位置にありました。しかし、広大な国土、多様な労働力と輸送網、安価なエネルギーの確保といったさまざまな要因が重なり、綿工業以外の産業も大きく発展していきます。
中立国である間から、アメリカには軍需品の注文が殺到しました。建国から約150年のあいだに国内で3つの大きな戦争を経験し、多額の国債を抱えていたアメリカでしたが、この需要によってその負債さえ返済できたといいます。
ところが、アメリカ船がドイツの潜水艦による攻撃(兵站攻撃の一環)を受けたことをきっかけに、アメリカは連合国側での参戦を決断します。劣勢にあった連合国は、アメリカの参戦によって士気を取り戻すことになりました。
もちろん、戦争が長引けば長引くほど、ヨーロッパ諸国の財政負担は膨らみます。とりわけイギリスは、アメリカ参戦が決まった頃には財政危機の瀬戸際にありました。
戦争の長期化に伴い、ヨーロッパ諸国は戦時国債を次々と発行します。それをアメリカの政府や企業が買い取っていき、アメリカは債権国へと転じていきました。
※実は、アメリカが第一次世界大戦に参戦した理由の一つとして、「連合国に貸し付けた戦時国債が返済されなくなるかもしれない」という懸念があったとも言われています。
終戦後、「狂騒の20年代」へ
1918年に第一次世界大戦が終結すると、世界のパワーバランスは一変します。荒廃したヨーロッパを背景に、自国を戦場にしなかったアメリカは、名実ともに強大な力を持つようになりました。
こうした中、ジャズやフラッパー(従来の女性像を打ち破る「モダンガール」)といった、旧来の伝統を打破する文化が花開きます。
自家用車、洗濯機、ラジオ、映画……現代では欠かせない家電製品などの大量消費財が次々と普及しました。レコードも一般に広まり、ジャズの流行を後押ししたと言われています。
新技術の波は家庭にとどまらず、インフラにも及びました。自家用車の普及に伴う道路建設、発電所の建設、家庭への水道供給とともに近代的な下水道の整備が進み、「アメリカの繁栄はこれからも長く続く」という空気が醸成されていったのです。
ちなみに、日本語の「景気」という言葉には、人々の心理状態も含まれます。
「この繁栄は長く続く」というアメリカ社会全体の雰囲気こそが、好景気をさらに後押ししました。世の中は活気に満ちあふれ、お金を借りてまで株を買う人が続出したといいます。
証券会社での株式売買は急増し、アメリカの株価は一気に駆け上がっていきました。