西暦41年、皇帝カリグラの暗殺を受けて、クラウディウス(紀元前10年~西暦54年)が第4代ローマ皇帝として即位しました。万全の準備がないまま帝位に就いたものの、彼は着実に立場を固め、元老院に対する皇帝権限を強化していきます。対外政策においても精力的に活動し、ブリタンニア(現在のイギリス)など多くの地域を征服しました。この遠征の功績により「ブリタニクス」という添え名を得て、それを息子に受け継がせています。帝国の一体性を掲げたクラウディウスは、周辺の属州を結びつけ、帝国の強化に努めました。

西暦48年――歴史を変えた元老院演説
経緯
クラウディiusは、ローマ市外で生まれた最初のローマ皇帝です。彼はガリアのルグドゥヌム(現在のフランス・リヨン)で生まれたため、ローマ生まれの人々とは異なる視点から市民権という問題を見つめていました。そのため、帝国が支配する属州に対する開放的な政策を一貫して支持していたのです。
当時、元老院議員となるにはローマ市民であることが絶対条件でした。ユリウス・カエサルによる征服以来、ローマに併合されてきたガリアの人々は、この差別に異を唱え、西暦48年、高位のガリア人貴族も公職に就けるよう元老院へ請願を行いました。しかし、この要求は「自分たちこそがローマ市民権の正当な担い手だ」と考えるローマ人たちの強い反発を招きました。
元老院議員たちの猛反対を押し切る形で、クラウディウス皇帝は帝国の歴史に残る記念碑的な演説を元老院で行います。彼は「長髪ガリア(ガリア・コマータ)」、すなわちピレネー山脈、アルプス山脈、ライン川に囲まれた地域の貴族たちにローマ市民権を与えたのです(ナルボンネンシス・ガリアはすでに市民権を有していました)。これにより、ガリア人にもローマの公職(政治・行政上の役職)への道が開かれ、名誉の階梯(クルスス・ホノルム)をはじめとする、それまでローマ人だけに許されていた権利が認められました。
この演説の内容は青銅板に刻まれ、「クラウディウスの青銅板(ターブル・クローディアンヌ)」として知られています。当時、この板はルグドゥヌムに建てられた「三ガリア祭壇」に掲示されており、この布告がガリア人にとっていかに重要なものであったかを物語っています。1528年、リヨンのクロワ・ルース地区で、ある織物商が偶然2枚の青銅片を発見しました。これが、この銘板が複数形で呼ばれる理由です。歴史家タキトゥスの『年代記』に記録された本文と比較すると、約4割の部分が失われています。銘板は高さ140cm、幅193cm、重量はなんと222kgにも及びます。ガリア民族、ひいてはフランスの歴史における基幹資料として、現在はリヨンのガロ=ロマン博物館に収蔵されています。
影響
すべてのガリア貴族にローマの公職への道を開く演説を元老院で行うことで、クラウディウスは帝国に併合された諸属州の支持を確保することに成功しました。市民権を通じた属州の帝国への統合は、初代皇帝アウグストゥス(オクタウィアヌス)が築いた「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」を受け継ぐものであり、紛争を鎮静化させて領土を安定させる効果をもたらしました。加えて、ガリアは交易の発展にとって地理的に極めて重要な戦略拠点でもありました。ガリアの人々をローマ市民と一体化させることは、帝国の権威と力を一段と強めることにつながったのです。クラウディウスが打ち出したこの開放政策は、その後、ウェスパシアヌスやマルクス・アウレリウス、そして212年のカラカラ勅令を発したカラカラへと受け継がれていきました。