古代の歴史

国連憲章の調印――サンフランシスコ会議と国際連合誕生の瞬間

国際連盟から国連へ――新たな平和機構への道

  • 第一次世界大戦の終結後、再び世界規模の紛争が起きることを防ぐための国際的な平和維持機構として、1919年に国際連盟が設立されました。
  • しかし、第二次世界大戦の勃発は、国際連盟の限界と、世界の平和を守れなかった無力さを露呈させました。それでもなお、新しい国際機構をつくるという構想は生き続けました。1943年10月30日、アメリカ・ソビエト連邦・イギリス・中国の4か国はモスクワ宣言に署名し、そうした組織の創設に向けた意志を確認しました。
  • 国際連合憲章は、第二次世界大戦の終結に向けて連合国が協議したヤルタ会談(1945年2月)などの場で具体化されていきました。

1945年6月26日

国連憲章の調印――サンフランシスコ会議と国際連合誕生の瞬間

登場人物

ウィンストン・チャーチル(イギリス首相)

フランクリン・D・ルーズベルト(アメリカ大統領)

ヨシフ・スターリン(ソ連共産党書記長)

※この「ビッグスリー」と呼ばれる3人は、ヤルタ会談において戦後秩序と国際連合設立の枠組みを形作った指導者です。

経緯

1945年6月26日、50か国がサンフランシスコ会議において国際連合憲章に署名しました。前文と111か条から構成されるこの憲章こそ、国際連合(UN)創設の根拠となる文書です。憲章には、国連の運営規則とともに、総会・安全保障理事会・経済社会理事会・事務局・国際司法裁判所という主要機関が定められています。
また、憲章第1章「目的及び原理」では、国家の平等と主権の原則、そして国家間の紛争を平和的な手段によって解決することの重要性が強調されています。
さらに、国際の平和と安全を脅かす国に対して講じられる措置や制裁についても規定されており、経済制裁や軍事介入などがその例として挙げられます。実際、国連は安全保障理事会を補佐するための軍事参謀委員会を設置し、必要に応じて軍事任務を遂行できる体制を整えました。なお、今日広く知られている「青いベレー帽(ブルーヘルメット)」という概念は、この創設文書には登場せず、1950年代の後半になって確立したものです。

結果と影響

  • 国連憲章の最終文本は1945年10月24日に発効し、この日が国際連合の正式な創設日となりました。第1回国連総会は1946年1月10日に開催されました。国連本部はアメリカのニューヨークに置かれていますが、一部の事務機関はヨーロッパ(ジュネーブおよびウィーン)にも拠点を構えています。
  • 憲章の本文は、批准以来大きく改変されていません。しかし、国連総会が決議を採択することで、条文本来の適用範囲は時代とともに変化してきました。たとえば1960年代には、植民地からの独立(脱植民地化)の権利が宣言されたことが代表的な例として挙げられます。