猫の頭を持つエジプトの女神バステトを表す像 • ISTOCKPHOTO
古代エジプトでは、小さな虫からヘビ、魚、鳥、そしてカバのような大型哺乳類まで、実にさまざまな動物が神々の顕現となり得ました。日々の暮らしの中で豊かな動物相を鋭く観察していた古代エジプト人は、それを自らの宗教観の中へと取り込んでいったのです。この現象を正しく理解するには、二つの異なる側面を区別する必要があります。ひとつは、宇宙観の中で神の象徴として動物を用いること。もうひとつは、生きた動物そのものへの崇拝、すなわち動物崇拝(ズーオラトリー)です。
スカラベ――太陽の昆虫
古代エジプト人にとって、動物は程度の差こそあれ、神聖な力の何かを現す存在でした。その根底には、次のような根本的な世界観があります。動物もまた他の被造物と同じく、太陽神が自らの唾液、精液、汗、涙といった「自らの物質」から創り出したのだ、という考え方です。したがって、動物の姿や振る舞い、習性は、創造主およびそこから派生した神々が世界の秩序を保つために働かせる根本原理――誕生、成長、成熟、再生、そして生物学的な死そのものに刻まれた再誕の可能性、建設的なエネルギーと力、存在のダイナミズムに不可欠な混沌など――を部分的に映し出していると見なされたのです。
スカラベ(フンコロガシ)を例にとってみましょう。この虫は卵を含んだ糞の球を押して穴に運び込み、孵化すると新しいスカラベがそこから現れて飛び立ちます。古代エジプト人は、この習性こそが太陽を駆り立てる力のごく小さな断片を宿していると考えました。卵を包む球と同じように丸い太陽の円盤は、毎朝大地から現れ、天へ昇り、その旅を完遂するからです。こうしてスカラベは、太陽神を象徴しうる存在へと昇格しました。
ただし、ここで確認しておくべき点があります。太陽がその周期を繰り返すことを可能にする力は、スカラベという「器」に宿る――つまり神の「ヒュポスタシス(本質的顕現)」となる――とはいえ、それはごく部分的なものにすぎません。その力はスカラベをはるかに超えており、完全にその中に収まりきることはありません。一般論として、神性は常に、ヒュポスタシスや象徴として認められる動物の彼方にあるのです。
ダチョウの狂おしい踊り
その特徴によって神々の働きを現すと判断された動物のリストは、極小から巨大まで実に多岐にわたります。スカラベや「ネペ」と呼ばれる昆虫の幼虫から、ムカデ、ヘビ、魚、鳥、トガリネズミ、ハリネズミ、あらゆる大きさの哺乳類、さらには雄羊の頭を持つライオン「クリオスフィンクス」のような空想上の獣にまで及びます。
とはいえ、それぞれの神との関わり方は一様ではありません。単なる「観客」として、世界を律する周期を賛美するだけの動物もいます。ナイル川の氾濫が始まると、「ファハカ・テトロドン」と呼ばれるフグの一種は空気を飲み込んで膨らみ、水面へと漂います。ダチョウは夜明けを迎えるために狂おしい踊りを踊り、ヒヒの騒々しい鳴き声がそれに和します。魚と鳥は、大気と水という二つの大きな媒体を通じて、神の力の証しを広めるのです。一方、ヘビ、ワニ、カバは、女神が罰すると定めた者に対する「刑の執行者」となることもあります。
神ごとに聖なる動物
しかし他の動物たちは、神学的伝統によって特定の神々と結びつけられています。雄羊はアメン、クヌム、ハルサフェスの顕現であり、犬科の動物(犬、ジャッカル、キツネ)はアヌビスとウプウアウト、雌牛はハトホル、ガゼルはアヌキス、牝ライオンはセクメトやムトらの女神、雄ライオンはネフェルトゥム、カバはセトの顕現です。女神のウアジェト、レネヌテト、メルトセゲルはコブラの姿をとり、ケンティケティとソベクはワニの姿をとります。隼(ハヤブサ)と結びつくのは、さまざまな形態のホルス、ヘメン、メントゥ、ソカルです。トートはトキを好み、ネイトはナイルパーチ(ラテス)に、イシスは時にサソリに自らを重ねます。
エジプトの神々はそれぞれ、一頭あるいは複数の「お気に入りの動物」を通じて顕現できました。アメンなら雄羊・ガチョウ・雄牛、ハトホルなら雌牛、トートならトキやヒヒ、といった具合です。
同じ動物が複数の神のヒュポスタシスとなり得る一方で、同じ神が複数の動物的顕現を持つこともあります。トートはトキのほかにヒヒともなり、アメンはガチョウや雄牛と親和性を持ち、ウアジェトは本来コブラですが、二次的には牝ライオンでもあります。太陽神については、スカラベ、隼、猿、ライオン、雄羊と、さまざまな姿に認められてきました。神は多くの場合、動物の全身像、あるいは混合的な姿で表現されました。後者の場合、動物の体に人の頭を載せたスフィンクス型か、逆に人の体に動物の頭(またはそれを思わせる頭飾り)を載せた姿のどちらかです。
数百万体に及ぶ動物ミイラ
動物と神との結びつきは、生きた動物への崇拝において頂点に達します。かつては限定的だったこの信仰は、プトレマイオス朝期、続いてローマ支配期(紀元前3世紀~紀元後4世紀)にかけて爆発的に広まりました。神が動物の姿で崇拝される各地域では、特別な印(しるし)を備えた個体がその種の代表として選ばれます。以後、その動物は神域内に設けられた専用の複合施設で暮らし、聖職者の手厚い世話と信者たちの敬虔なまなざしを受け、託宣を下しました。アピス雄牛の場合には、これを産んだ母牛にも独自の聖域が与えられました。聖なる動物の同種たちはその影響圏内ではタブーとされ、少しでも傷つければその場で私刑に遭うほどでした。
聖なる動物の死は常に地域的な出来事であり、アピス雄牛の場合には国家的規模に及ぶこともありました。葬儀は複雑な儀礼を伴いました。この機会に信者たちは奇妙な慣行によって信心を示しました。それは、亡くなった聖なる動物に、簡素にミイラ化した同種の代表を捧げるというものです。遺体は青銅の聖櫃に納められることもあれば、より多くの場合、口を封じた円錐形の壺に納められました。信者たちはその見返りに、聖なる動物があの世から自分たちを恵んでくれることを期待したのです。
この需要を満たすため、普段は保護されているはずの動物たちが大量に殺されることになりました。奉献されたミイラの多くは、シャンパンの瓶をエペルネーの地下貯蔵庫に並べるように、巨大な地下墓所(カタコンベ)に安置されて埋葬を待ちました。この慣行は驚くべき拡大を見せます。サッカーラの聖域に属する細長い回廊網には、推定数百万体のトキのミイラが納められていたといわれます。しばしば利用できる動物の数が足りなくなり、ミイラ1体につき死体の断片1つで済ませたり、近縁の種から補ったり、粗末に作られた動物の像、さらには木片を布で包んだだけのものを納めたこともあったのです。
さらに読む
- P. ヴェルニュ、J. ヨヨット『ファラオの動物誌』Perrin、2005年
- P. ジェルモン、J. リヴェ『エジプト動物誌』Citadelles & Mazenod、2001年
- H. ギシャール(編)『動物とファラオ――古代エジプトにおける動物界』展覧会図録、Somogy、2014年