古代の歴史

アリストファネスと笑う――噛みつくような風刺の断片

アリストファネスと笑う――噛みつくような風刺の断片

古代アテネのコメディ作家アリストファネス(紀元前446年頃〜同386年頃)は、政治家や哲学者を容赦なく皮肉る「古喜劇」の最高峰として知られる。彼の作品は、戦争、汚職、権力への批判を笑いに包みながら、鋭く突き刺すものだった。

アテネの「主人」――成り上がりの革職人クレオン

裕福な皮革工場主の息子だったクレオンは、ペリクレスの死後に政界へ躍り出て、スパルタとの戦争継続を強力に推し進めた。雄弁で市民の心を掴むのが巧みなこの好戦的な政治家は、アリストファネスが最も好んで攻撃の標的とした人物の一人である。

攻撃は『バビロニア人』(紀元前426年)で始まった。この散逸した作品のために、作者は謝罪を余儀なくされたという。続く『アカルナイの人々』(紀元前425年)でも、彼は軽蔑を込めて「革職人」と呼んだクレオンと、その戦争支持者たちへの攻撃を止めなかった。

そして最大の弾劾劇となったのが『騎士』(紀元前424年)である。ここでクレオンは、老いた主人デーモス(民衆)を操る奴隷の姿で登場する。アリストファネスは彼を泥棒であり汚職者だと断じ、「公金の壺から両手で大きな匙ですくい取る」男だと描いた。最終的にクレオンは、自分よりさらに恥知らずな肉屋アゴラクリトスに特権を奪われる運命となる。

ソクラテスも免れない――哲学への怒号

ソクラテスはアテネの名物人物だった。戦時に市を守るために出た以外は街を出ることなく、路上で隣人に問いかけ、思考を深める姿を市民はよく見かけていた。しかし『雲』(紀元前423年)の中で、アリストファネスは彼を、報酬を得て教えを説く専門哲学者、すなわちソフィストの化身として描き出す。

ソフィストの教育は若者に思想的相対主義を植え付け、国家の基盤を揺るがす――これがアリストファネスの主張だった。「あの者どもは、金さえ払えば、正しいことも不正なことも言葉で勝たせる術を教えるのだ」。

アリストファネス自身は『雲』を自らの最高傑作とみなしていた。たとえそこに歪んだソクラテス像が描かれていても、である。実際、自由に語り、教授を自称することのなかったこの哲学者は、戯曲の中では、ニヒリズムに陥ったアテネの青年を堕落させる不敬虔な悪徳教師として描かれる。この戯画は、紀元前399年のソクラテス死刑判決に重く影を落とすことになった。

性の戦争――リュシストラテの熱い闘い

『リュシストラテ』が初演されたのは紀元前411年、アテネで寡頭派のクーデターが起こった数ヶ月後のことだった。リュシストラテ(古代ギリシャ語で「軍勢を打ち破る者」の意)の毅然とした性格は、アテナ・ポリアスの女祭司リュシマケーに着想を得ていると言われる。

主婦の視点から戦争を描くこの喜劇は、寡頭派による社会改造の構想を家事にたとえている。アテネは羊毛であり、欠陥(扇動者や告訴屋)を取り除くために梳き、糸玉にして、新しい衣――新しい社会を織り上げねばならない、というわけだ。

「戦争の苦労に関わらない女たちが、こんなことを羊毛のようにあなた方のためにやってあげようというのは、恥ずべきことではないのか」と役人が問うと、リュシストラテはこう答える。「いえ、哀れな方、私たちは戦争の重荷の半分以上を背負っているのです。苦労して産み育てた我が子が武器を担って出て行くのを見送り……そのうえ、戦争のせいで一人ぼっちで眠らなければならないのですから」

腐敗への抗議――権力を握る貧者と富者

現存するアリストファネス最後の作品『プルトス』(富)は、紀元前388年頃に初演された。この喜劇はアテネの社会的格差と腐敗を痛烈に告発している。「政治について考え、弁士たちを見よ。無一文のうちは節度を保っている。ところが富を手にすると、たちまち屑のような者になり、やがて我々の体制に対して陰謀を企て始めるのだ」。

それは幻滅の時代だった。誰もが自分のことしか関心を持たなくなっていたのである。「大いなる神々よ! 賢い者がひとりもいないとは! 誰もが利得への愛に心を奪われてしまった」と、アテネの市民ブレプシデモスは皮肉っぽく嘆く。

一方、主人公クレミュロスのような正直な労働者の生活描写は、田舎の質素な暮らしへの希望に満ちた賛歌となる。「こういうふうにこそ豊かに暮らせるのだ。櫃には真っ白な小麦粉が満ち、壺には赤く香り高い葡萄酒が満ちる。……水槽には油が、小瓶には香油が、屋根裏にはイチジクが……」