
1888年、ロンドンのイーストエンドを恐怖に陥れた連続殺人事件「切り裂きジャック」。犯人は逮捕されぬまま闇へと消え、130年以上が経った今もなお、その正体は世界最大級の未解決ミステリーとして語り継がれています。
1890年、捜査に携わっていたメルヴィル・マクノーティンが、スコットランドヤード刑事部(CID)の責任者に就任しました。彼の見立てでは、切り裂きジャックの犯行は5件のみ——メアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズ、そしてメアリー・ジェーン・ケリー。いわゆる「正典(canonical)」と呼ばれる5人の犠牲者です。さらにマクノーティンは、モンタギュー・ジョン・ドルイット、アーロン・コズミンスキー、マイケル・オストログの3人を容疑者として挙げました。しかし1888年以降、曖昧で矛盾した証拠をもとに、実に数え切れないほどの「犯人」が名指されてきたのです。
アーロン・コズミンスキー――DNA鑑定が示した「一致」とその限界
事件当時、CIDの責任者だったロバート・アンダーソンは、犯人を「ポーランド系ユダヤ人で、精神を病み、出自の低い男」と述べています。これは、マクノーティンが言及した理髪師アーロン・コズミンスキーと同一視される人物です。
2014年には、コズミンスキーの現存する子孫と、エドウズの遺体が発見された現場に落ちていたショールから採取されたミトコンドリアDNAが一致したと報じられ、大きな話題を呼びました。しかしこのDNA鑑定には信頼性の問題があり、そもそもそのショールが本当に被害者の持ち物だったことを裏付ける証裏付ける証拠も存在しないのです。
モンタギュー・ジョン・ドルイット――自ら命を絶った良家の弁護士
良家出身の弁護士だったドルイットについて、マクノーティンは「性的に病んでいる」と記しています。これは同性愛者であることを意味し、1888年に彼が勤務していた寄宿学校を追放された理由だったと考えられています。ケリー殺害のわずか数週間後、彼はテムズ川に身を投げて自ら命を絶ちました。
しかし、切り裂きジャック捜査の指揮を執ったフレデリック・アバーライン警部によれば、ドルイットを疑う確たる証拠は一切なかったといいます。
ウォルター・シッカート――画家を断罪したベストセラー作家
画家ウォルター・シッカートは、自ら《切り裂きジャックの寝室》と題する絵画を描くなど、事件に並々ならぬ関心を抱いていた人物です。作家パトリシア・コーンウェルは、シッカートに精神病質的な傾向を見出したとして、著書の中で彼こそが真犯人だと断罪しました。
シッカートの母親の手紙と、切り裂きジャック名義の手紙の間にミトコンドリアDNAの一致が見つかったこともありますが、このタイプのDNAは人口の約10%が共有しているもので、決定的な証拠にはなり得ません。
ジョン・パイザー――「レザー・エプロン」の冤罪?
ユダヤ系の靴職人ジョン・パイザーは、街へ出るときさえエプロンを外さなかったことから「レザー・エプロン(革のエプロン)」と呼ばれていました。1888年9月8日夜のチャップマン殺害——リッパーにとって2人目の犠牲者——の2日後、ある女性から「その朝、ナイフで脅された」との訴えを受けて逮捕されます。
過去に売春婦への暴行を働いた前科こそありましたが、2件の殺人が起きた夜については確かなアリバイが成立しており、嫌疑は晴れています。
王室陰謀説――今も消えない「最終解決」
1976年、イギリスの作家スティーヴン・ナイトが『ジャック・ザ・リッパー 最終解決』を出版し、ホワイトチャペルの連続殺人は王室による陰謀の産物だと主張しました。専門家たちによって完全に否定されたはずのこの説は、それでも今日まで広く流布され続けています。
この理論によれば、ヴィクトリア女王の孫アルバート王子は、売春婦との間にもうけた娘をネタに恐喝を受けていました。相手側は金銭を要求し、支払いがなければすべてを暴露すると脅したため、関係者は口封じのため彼女とその仲間たちを殺害することを決意。そして一連の犯行は、架空の人物「ジャック・ザ・リッパー」の仕業とされることになったのです。さらには、女王の侍医ウィリアム・ガル卿までもが殺人に加担したとまで語られています。
結局のところ、どの容疑者も決定的な証拠には結びつかず、切り裂きジャックの正体は今も謎のままです。それでも新資料の発見や科学捜査の進展とともに、犯人をめぐる議論は今後も続いていくことでしょう。