古代の歴史

聖職者保留地(クレジー・リザーブ)|カナダの歴史

聖職者保留地とは

聖職者保留地(Clergy Reserves)は、カナダにおいてイングランド国教会のために確保されていた土地であり、19世紀カナダ政治における最大級の論争の火種となりました。1791年の憲法法(Constitutional Act)により「プロテスタント聖職者の支援と維持」を目的として設定されたこれらの保留地は、全土地払下げ面積の7分の1に相当する広大なものでした。当時、「プロテスタント聖職者」という表現は、イングランド国教会のみを指すものと解釈されていました。

アッパー・カナダでの論争の勃発

現在のオンタリオ州にあたるアッパー・カナダでは、プロテスタント住民の大半が国教会信徒ではなかったため、1812年戦争の終結後まもなく、聖職者保留地をめぐる対立が表面化しました。1822年にはスコットランド国教会が保留地の分配を要求。一方、その他の大多数の教派は、保留地の存在そのものが宗教の自由に有害であると非難し、教育などの一般的な公共目的への転用を求める運動を展開しました。

立法による段階的な解決

1827年の帝国法により、保留地の4分の1の売却が認められました。さらに1840年の帝国法では、新たな保留地の創設が禁止されるとともに、それまでの売却収益はイングランド国教会、スコットランド国教会、ウェズリアン・メソジスト派の3者間で分配され、将来の売却収益については他の教派にも分配されることが定められました。

1854年の世俗化と終焉

聖職者保留地は最終的に1854年に世俗化され、約60年に及ぶ論争に幕が下ろされました。同時に、保留地における「正当な利益」への補償として、イングランド国教会、スコットランド国教会、ウェズリアン・メソジスト派の3教派に対して多額の一時金が支払われています。