古代の歴史

アルザワ | 古代アナトリア西部の王国

アルザワ(Arzawa)は、古代アナトリア半島の西部ないし南西部に存在した王国です。その正確な位置については諸説あり、現在でも学術的な議論が続いています。アルザワは長きにわたり、アナトリア中央部を支配したヒッタイト王国の最大のライバルとして知られ、両国は覇権をめぐって対立を繰り返してきました。

ヒッタイトとの対立と従属

ヒッタイト古王国期、アルザワはしばしばより強力なヒッタイト王によって征服され、属国へと組み込まれることもありました。初代ヒッタイト王とされるラバルナ1世(在位:紀元前1680年頃~1650年頃)の時代には、その影響下に入ったと考えられています。ただし、ヒッタイトの支配は恒久的なものではなく、両国の関係は征服と離反を繰り返す不安定なものでした。

最盛期 ― エジプトとの外交

紀元前1500年頃、ヒッタイト古王国が終焉を迎えると、ヒッタイトは一時的に衰退期に入りました。この間隙をついて、アルザワの勢力と名声は頂点に達します。当時のアルザワ王タルフンダラドゥは、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のファラオアメンホテプ3世と書簡を交わすほどの国際的地位を確立していました。この往復書簡は「アマルナ文書」として知られる外交アーカイブの中に残されており、アルザワが当時の古代オリエント世界における大国の一つであったことを物語っています。

ムルシリ2世による再征服

ヒッタイト新王国期に入ると、状況は一変します。強力なヒッタイト王ムルシリ2世(在位:紀元前1339年頃~1306年頃)がアルザワ遠征を敢行し、同地域を再びヒッタイトの支配下に置いたのです。ムルシリ2世の年代記にはこの遠征の経緯が詳しく記録されており、征服後のアルザワはいくつかの属領に分割されて統治されたと伝えられています。

衰退と滅亡

しかし、ヒッタイト王アルヌワンダ3世(在位:紀元前1220年頃~1190年頃)の治世になると、アルザワは裏切りの家臣マッドゥワッタスの手に奪われてしまいました。以後、ヒッタイトがアルザワを奪還することは二度となく、同地域は次第に政治的実体としてのアイデンティティを失っていきました。やがて「海の民」の移動などに象徴される青銅器時代末期の大混乱の中で、アルザワという国家は歴史の表舞台から姿を消していったと考えられています。

アルザワとルウィ人

なお、アルザワの住民はインド・ヨーロッパ語族に属するルウィ語を話していたとされ、ヒッタイト人が話すネシ語とは系統を異にする言語圏でした。この文化的差異もまた、両国が対立関係にあり続けた背景の一つであると指摘されています。