サルデーニャ王国とは
サルデーニャ王国は、1720年から1861年までサヴォイア家が統治した国家で、ピエモンテ(イタリア北西部)とサルデーニャ島を中心としていました。単にサルデーニャと呼ばれるほか、ピエモンテ・サルデーニャやサルデーニャ=ピエモンテ王国という名称でも知られています。
王国の成立:シチリアとの交換
1718年、ヨーロッパ列強の間で結ばれたロンドン条約により、サヴォイア公にしてピエモンテの支配者であったヴィットーリオ・アメデーオ2世は、シチリア島をオーストリア・ハプスブルク家へ譲渡することを余儀なくされました。その代償として与えられたのが、当時スペイン領であったサルデーニャ島でした。
2年後の1720年8月24日、ヴィットーリオ・アメデーオ2世は正式に同島の領有権を確保します。以降1861年まで、彼とその後継者たちは「サルデーニャ王」と称されるようになりました。
ピエモンテを中心とした統治
興味深いことに、「サルデーニャ王国」と呼ばれながらも、王家の権力と富の拠点、そして日常的な居城はサルデーニャ島ではなくピエモンテ地方に置かれていました。首都トリノは王国政治の中心地として機能し、後にイタリア統一運動の舞台ともなりました。
アルベルティーノ憲章の公布
1848年3月、カルロ・アルベルト王はピエモンテ=サルデーニャ王国のための新憲法「アルベルティーノ憲章(Statuto Albertino)」を公布しました。この憲法は、後に誕生する統一イタリア王国の憲法の基礎となった重要な文書です。
イタリア統一への道
1861年3月17日、第一回国会(イタリア初の議会)によってイタリア王国の樹立が正式に宣言されました。カルロ・アルベルトの息子であるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が、統一イタリアの初代国王として即位します。こうしてサルデーニャ王国は、長い歴史に幕を下ろすと同時に、新生イタリア国家の中核へと姿を変えたのです。
関連項目:サヴォイア家