古代の歴史

グール朝(グルリド・スルタン国)とは?歴史・王朝の興亡と歴史的意義

グール朝(グルリド・スルタン国)とは

グール朝(グルリド・スルタン国)は、12世紀半ばから13世紀初頭にかけて、アフガニスタン中西部のグール地方(現在のゴール州)を拠点として栄えたイスラム王朝です。建国者はアラー・ウッディーン・フサイン(ʿAlāʾ al-Dīn Ḥusayn)とされています。

グール地方とガズナ朝の支配

グールは、ヘラート地方の南東、ヘルマンド川流域の北西に位置する山岳地帯です。この地は1009年から1020年にかけてガズナ朝のマフムードによって征服され、以後12世紀半ばまでガズナ朝の宗主権下に置かれました。住民がイスラム教へ改宗したのもこの時期と考えられています。

ガズナ朝からの独立と復讐

1149年、ガズナ朝の統治者バフラーム・シャーは、家族間の争いの末にガズナ市へ亡命していたグール地方の指導者クトゥブ・ウッディーンを毒殺しました。これに怒ったグール人の指導者アラー・ウッディーン・フサインは、報復としてガズナ市を攻略・焼き払い、ガズナ朝による支配に終止符を打ちました。

アラー・ウッディーンはガズナを長く保持することはできませんでしたが、この勝利は、甥にあたるギヤース・ウッディーン(Ghiyāth al-Dīn)とムイズ・ウッディーン(Muʿizz al-Dīn)が、1173年にガズナ朝滅亡後この地を支配していたオグズ・トルクメン系遊牧民から同市を奪回する大きな足がかりとなりました。

二人の兄弟が築いた最盛期

1173年から1202年にかけて、グール朝の最高指導者にして総司令官であったギヤース・ウッディーンと、その弟であり忠実な部下でもあったムイズ・ウッディーンは、王朝の勢力を頂点へと押し上げました。

ギヤース・ウッディーンは、ホラーサーン(イラン北東部)におけるセルジューク朝トルコ人の旧領をめぐってホラズム・シャー朝と争いました。1176年にはヘラート(アフガニスタン西部)を占領し、1200年までにアフガニスタンの大部分、イラン東部、さらに現在のトルクメニスタンにあたる地域を支配下に収めました。

一方、ムイズ・ウッディーンは部将のクトゥブ・ウッディーン・アイバクとともに、ムルターンからベンガル地方のガウルに至る北インドの支配体制を確立しました(→ムイズ・ウッディーン・ムハンマド・イブン・サーム)。

急速な滅亡

しかし、グール朝の帝国は短命に終わりました。1202年にギヤース・ウッディーンが死去し、1206年にはムイズ・ウッディーンが暗殺されます。その後、残されたグール朝の指導者たちの間で混乱した権力闘争が繰り広げられ、1215年頃にはホラズム・シャー朝がグール朝の領土を吸収することとなりました。

グール朝が残した歴史的意義

グール朝の帝国そのものは短命でしたが、ムイズ・ウッディーンによるインド征服は、その後のインドにおけるイスラム支配の基礎を築いた点で極めて重要です。また、嫉妬心のないギヤース・ウッディーンとムイズ・ウッディーン兄弟の協力関係は、二人の成功を大きく支えたものであり、イスラム王朝の歴史の中でも珍しい例として特筆されます。