マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny、明白な天命)は、1845年、アメリカ人が西部へ進出していた時代に、ジャーナリストのジョン・L・オサリバン(John Louis O'Sullivan)によって提唱された言葉です。
この概念は、アングロ・サクソン系アメリカ人こそが、北米大陸全土に自らの文明と制度を広げるという使命を神から与えられている、と信じる思想を指します。
歴史的背景
13植民地が独立を果たした後、アメリカ合衆国の連邦政府は、ナポレオン率いるフランス政権からルイジアナ買収の提案を受けます。
ナポレオンはヨーロッパでの戦争を続けるための資金を必要としており、一方のアメリカはこれを領土拡大の絶好の機会と捉えました。
こうして1803年、ルイジアナ準州の買収が実現します。翌1804年には、ルイスとクラークに命じて新領土の調査と地図作成を行わせました。さらに、土地を購入する経済的余裕のないアメリカ人家庭や移民による入植を奨励し、西部の占領と開拓を推し進めていきました。
しかしこの地域には、古くから先住民族であるネイティブ・アメリカンが暮らしていました。彼らは土地を侵略され、狩猟場を失い、やがて居留地(保留地)へと追いやられていくことになります。
西進拡大とマニフェスト・デスティニー
当時、議会やアメリカの報道機関では大きな論争が繰り広げられていました。アメリカ人は太平洋に達するまで進み続けるべきなのか。
ルイジアナを手に入れた後、残るはかつてスペイン領であり、現在はメキシコ領となっている地域でした。テキサスの人々との戦争は正当化されるのか。
また、オレゴンをめぐってもアメリカとイギリスの間に対立がありました。カナダ(イギリス統治下)とアメリカの国境線はまだ確定していなかったからです。
まさにそうした議論の渦中にあった1845年、ジャーナリストのオサリバンは、これらの領土併合に関する自身の見解を次のようにまとめました。
オサリバンは、アメリカ人がこの大地に偉大な国家を築くことは運命づけられており、それは神の意志であると信じていたのです。
この主張には多くの人々が賛同しました。とりわけ教会は積極的に動き、先住民に白人の文化と生活様式を教育するための伝道活動を組織していきました。
「American Progress(アメリカの前進)」、ジョン・ガスト作、1872年。この絵は、西部へ向かう農民のための案内書の挿絵としても使われました。
批判
しかし、「マニフェスト・デスティニー」という表現は、北部諸州の政治家たちから激しい批判を浴びました。彼らは、西部の領土が連邦政府へ編入されていく過程で新たに創設される州において、この言葉が奴隷制拡大の正当化に利用されると警告したのです。
それにもかかわらず、オサリバンの言葉は後の時代に再び取り上げられ、先住民に対して行われた数々の残虐行為を正当化する根拠として使われました。さらに、中央アメリカやカリブ海地域へ向けたアメリカの拡張主義政策を支持する論拠としても援用されることになります。
実は、テキサスの併合(1845年)や米墨戦争(1846〜1848年)といった一連の領土拡大も、この思想によって正当化されたといわれています。
そして今日でも、アメリカの大統領が自らを民主主義と世界の自由の守護者とみなすとき、その政治には「マニフェスト・デスティニー」の名残を読み取ることができるのです。