スラヴ民族(スラブ民族)は、現在のロシア周辺に起源を持ち、東欧一帯へと広がった民族集団です。この呼称は、彼らを互いに対等な人々とみなした古代ギリシャ人やローマ人に由来するとされています。
起源
スラヴ民族発祥の地とされるロシア地方における最初の人類の定住は、新石器時代にまでさかのぼります。
「スラヴ」という言葉の語源については諸説あり、ギリシャ語に由来して「奴隷」を意味するという説と、「東方から来た者」を意味するという説が知られています。
スラヴ人に関する最初期の記述はローマ人によるもので、彼らは「野蛮人」であり、狼のような風貌の勇猛な戦士として描かれました。これは、長い髪とひげを蓄えたスラヴ人に対し、ローマ人は髪を短く刈り、顔をほぼ無毛に保っていたためと考えられます。
ローマ人は、北方からやって来る諸民族と区別するために、彼らを「スラヴ人」と呼びました。
その後、人口圧力により一部のスラヴ部族は故地を離れ、ヨーロッパ大陸各地へと拡散していきます。彼らは現在のスカンジナビアの一部にも進出し、ドナウ川を西欧への玄関口として利用しました。こうして、現在のブルガリア、ポーランド、ハンガリー、スロベニア、セルビア、北マケドニア、クロアチアなどにあたる地域へ定住していったのです。
文化
スラヴ文化の中でも特筆すべきは、ペアで踊られる伝統的な民俗舞踏です。また、男性向けの舞踏には跳躍を交え、しゃがんだ姿勢でステップを踏む振り付けが含まれます。これは踊り手の力強さと勇気を示すためだといわれています。
さらに、祝祭の際に男女が身につけた、豪華な刺繍と装飾を施した衣装も見どころの一つです。社会的地位が高いほど、衣装の装飾はより華やかなものになりました。

コサックダンスのステップを披露するロシアのダンサー。
スラヴの言語
スラヴ人は、武力による征服、あるいは軍務への服従と引き換えにローマ市民権を保障する連邦化の制度を通じて、ローマ帝国に組み込まれていきました。
しかし、彼らがローマに吸収されたのは帝国の衰退期であったため、話し言葉や書き言葉には大きな変化が起こりませんでした。その結果、スラヴ人はラテン文字を採用せず、独自の表記体系としてキリル文字を選択しました。
44文字からなるキリル文字は、9世紀に聖キュリロス(Cyril)と聖メトディオスがブルガリア人への布教を行っていた際に考案されたとされています。第一次ブルガリア帝国の拡大に伴い、キリル文字はスロベニア人、セルビア人、マケドニア人など、他のスラヴ系諸民族にも広く採用されました。
また、ビザンツ(東ローマ)経由で、ロシアやウクライナのキリスト教宣教師たちも自らの言語のためにキリル文字を採用しました。18世紀には、ピョートル大帝が推進した改革の一環として、ロシア語のキリル文字は簡素化されています。
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宗教
他の部族社会と同様に、スラヴ人は多神教徒でした。神々は自然現象を説明し、社会に結束と秩序をもたらす役割を担っていました。
スラヴ神話のパンテオン(神々の集合)の中でも、特に重要とされる三柱の神を紹介します。
スヴァログ ― この世界を鍛え上げた創造神にして鍛冶の神。太陽、正義、そして生命そのものを象徴します。
ヴェレス ― 時に男性として、時に女性として表現される神。自然、水、農業、出産を司るとされます。
ストリボグ ― 風を主な要素とする死の神。魂をトリグラフへと運ぶとされますが、他の神話によく見られるような悪神ではありません。
なお、トリグラフとは三つの峰を持つ山のことで、その峰々は神々の三つの頭に見立てられています。スロベニアに位置し、標高は2,800メートルを超えます。
これらの神々はそれぞれ竜(ドラゴン)を従えており、中には三つの頭を持つ竜もいて、神々の務めを助けたといわれています。
ローマ帝国へ組み込まれていく過程で、スラヴ人はキリスト教を受け入れるか、あるいは改宗を強いられました。その後、東ローマ帝国に属したスラヴ人は正教会の信徒となり、正教は今日まで東ヨーロッパで主流の宗教であり続けています。
南米ブラジルのスラヴ人
ブラジルに最も多く暮らすスラヴ系民族はポーランド人です。祖国ポーランドで絶え間なく続いた戦乱から逃れるため、約6万人のポーランド移民が同国へ渡ったと考えられています。
移民の大多数は農村部に定住し、農業に従事しました。
主なスラヴ系の国々
- ロシア
- ベラルーシ
- ウクライナ
- ポーランド
- チェコ
- スロバキア
- ラウジッツ(ラウザティア)
- ブルガリア
- クロアチア
- 北マケドニア
- セルビア
- ボスニア・ヘルツェゴビナ
- コソボ
- スロベニア