三国協商は、三国同盟に対抗・牽制する目的で、イギリス、ロシア、フランスの3か国によって結成された同盟です。20世紀初頭の1907年に成立しました。
三国協商と三国同盟は、ヨーロッパ大陸を二つの陣営に分断することとなりました。この同盟体制は、経済的・政治的・軍事的な合意に基づいており、外交上の目的を持つと同時に、国家間の保護機能を果たし、ライバル国からの攻撃から加盟国を守る役割を担っていました。
三国協商の概要
当時のドイツはヨーロッパ最大の工業国へと急成長しており、多くの国々にとって脅威となりつつありました。ドイツはオーストリアおよびイタリアとともに、1882年に三国同盟を形成していました。
三国協商が成立する前段階としては、以下のような同盟・協商関係が存在しました。
- 露仏同盟(1891年)
- 英仏協商(アンタント・コルディアール)(1904年)
- 英露協商(1907年)
三国協商が実現する過程では、フランスとイギリスがロシアに対し、英仏との同盟を拒否するならば支援を打ち切ると圧力をかけたことも重要なポイントです。両国の最大の関心は、ロシアが占める戦略的に重要な地理的位置にありました。
三国協商と第一次世界大戦
両陣営の同盟は本来、外交的な目的――すなわち権利の維持と自国利益の促進――を掲げていましたが、結果として関係国間の絶え間ない摩擦が積み重なり、第一次世界大戦の勃発につながりました。
一国が他国の利益を侵すような経済的・政治的な利害対立が、国家間の対立関係を生み出したのです。その代表例が、鉄鉱石の豊富な地域をドイツに割譲させられたことにより生じた、フランスの強い反独感情です。
ロンドン条約(1915年)
1915年、第一次世界大戦がすでに開戦していた中で、イタリアは三国同盟を離脱し、三国協商側へと鞍替えしました。
第一次世界大戦の展開
1914年の開戦時点では、三国同盟の方が戦争遂行のための資源において優位に立っていました。しかし、ドイツは戦線を拡大させるほど敵を増やすことになり、相次ぐ敗北を重ね、同盟国も次々と降伏していきました。
そして1918年、ドイツが降伏文書に調印し、第一次世界大戦は終結を迎えたのです。
第一次世界大戦における連合国
第一次世界大戦の開戦当初、三国協商の諸国は中央同盟国(ドイツおよびオーストリア)に対する連合国として参戦しました。その後、以下の国々が連合国側に加わっています。
- イタリア
- アメリカ合衆国
- ポルトガル
- ブラジル
- 日本
- オーストラリア
- ニュージーランド
- カナダ
- 南アフリカ
あわせて読みたい関連記事
- 第一次世界大戦の主要な戦い
- 第一次世界大戦の原因
- 第一次世界大戦の影響と結果
- 第一次世界大戦と日本の関わり