古代の歴史

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

ルネサンスが生んだ万能の天才

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)は、イタリア・ルネサンス期を代表する最重要人物の一人です。同時代の学者たちは、彼をおそらくその時代における最も傑出した存在として評価しています。

彼はまさに「天才」と呼ぶにふさわしい人物であり、世界が近代へと向かう激動の変革期に、芸術から科学まで幅広い分野の研究に身を捧げました。

なかでも絵画の分野で最も高い名声を獲得しており、画家という存在について次のような言葉を残しています。

ダ・ヴィンチの生涯

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

1452年4月15日、イタリアのトスカーナ地方、フィレンツェ近郊の村ヴィンチに程近いアンキアーノで誕生しました。

17歳のとき、巨匠アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で絵画を学び、テラコッタ像の制作などにも携わりました。フィレンツェの支配者ロレンツォ・デ・メディチをはじめ、当時の有力者たちのために働いています。

1480年には「カーネーションの聖母」を描き上げました。これは彼にとって最初の単独名義の作品とされています。

1482年から1499年にかけてはミラノに移り住み、ミラノ公ロドヴィコ・スフォルツァの庇護を受けました。この時期、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院のために不朽の名作フレスコ画「最後の晩餐」を描き、公爵のもとでは画家のみならず、建築家や技術者としても活躍しました。有名な「ウィトルウィウス的人体図」もこの時期の作品です。

1503年、人生最大の傑作となる「モナ・リザ」に着手しました。ここで用いられたのがスフマート技法です。輪郭をぼかし、色調に滑らかな階調を作り出すことで、人間の肌の質感まで表現できるようになりました。ダ・ヴィンチはこの描法をこよなく愛し、多くの作品に応用しています。

同じ頃、イタリアの貴族チェーザレ・ボルジアの軍事顧問も務めました。1503年から1516年まではローマ教皇領に滞在し、ラファエロやミケランジェロといった同時代の巨匠たちが華々しく活動するなかで、教皇レオ10世の命により光学に関する一連の優れた研究を行いました。

フランスによるイタリア占領期には、総督シャルル・ダンボワーズのために邸宅を設計しました。その大胆な設計が評判となり、フランス王フランソワ1世からフランスへの招待を受けて宮廷で仕事をするようになります。

1519年5月2日、67歳でフランスにてこの世を去り、アンボワーズ城に埋葬されました。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの主要な作品

ダ・ヴィンチが完成させた絵画は決して多くありません。しかし、そのすべてが真の傑作と呼べるものばかりです。

彼の作品は人物の写実性を基盤とし、光・影・立体感(明暗と浮き彫り効果)の価値を重視しました。これについて画家自身が次のように説明しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

特に注目すべき代表作は以下の通りです。

  • 「受胎告知」─ イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵
  • 「モナ・リザ」─ 世界で最もよく知られた絵画とされ、フランス・パリのルーヴル美術館に所蔵
  • 「ウィトルウィius的人体図」─ イタリア・ヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵される素描
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

その他にも重要な作品が多数あります。

  • 「岩窟の聖母」─ 一枚はパリのルーヴル美術館に、もう一枚はロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵
  • 「最後の晩餐」─ イタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会付属修道院にあるフレスコ画
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レオナルド・ダ・ヴィンチの発明

ダ・ヴィンチは芸術と科学の両分野で卓越した才能を発揮した多面的な人物でした。ポリマス(博識家)、すなわち複数の分野に深い造野に深い造詣を持つ賢人の典型とされています。

実際、彼は画家・彫刻家・数学者・建築家・都市計画家・物理学者・天文学者・技術者・博物学者・化学者・地質学者・地図製作者・軍事戦略家であるだけでなく、兵器や楽器の考案者でもありました。

あらゆる創作の場面で、レオナルドは既成の「定説」を鵜呑みにしませんでした。ある考えを受け入れる前に、必ずさまざまな方法で検証し、自ら結論を導き出したのです。こうした経験主義の姿勢は、後に物理学者ガリレオ・ガリレイや哲学者フランシス・ベーコンによって受け継がれました。

  • 芸術 ─ 最も名を馳せた絵画に加えて彫刻にも取り組み、数多くの下絵を残しましたが、完成させた作品はごくわずかでした。
  • 都市計画 ─ ルネサンス以前の都市は、狭い路地と不衛生な住宅が密集した場所にすぎませんでした。ミラノのための都市計画案では、下水道の整備、城壁の撤去、広場や庭園の設計を行い、風通しの良い大型住宅、歩行者専用道路、車両用の自由な通路まで構想していました。
  • 水力学 ─ アルキメデスの原理に基づき、水を汲み上げるポンプを発明して揚水装置の先駆けを作りました。井戸用ポンプや水車も着想しており、後世になって登場するタービンの道を開いたといえます。
  • 工学 ─ 航空工学や水理学にとどまらず土木工学の分野でも活躍し、金属橋を架ける技術を先取りしました。
  • 解剖学 ─ 当時、死体の解剖は重罪とみなされていたため、発見されれば逮捕されかねない危険を冒しながら研究を続け、数多くの精密な素描と著書「解剖学論」に重要な発見を記録しました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

空を飛ぶことへの憧れは、ダ・ヴィンチの終生の情熱の一つでした。飛行の仕組みを探求するため鳥を徹底的に観察し、鳥によく似た飛行装置を考案しました。

その結果、「人は翼で自ら飛ぶことはできないが、グライダーなら安全に着地できる」という結論に達したのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と作品|ルネサンス最大の天才の全貌

パラシュートをはじめとする数々の空中機械を創案しました。生命への深い関心を持ち続ける一方で、自身を軍事顧問として雇った主君のために、極めて有効な防御システムを設計してもいます。

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レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわる豆知識

ここで、この偉大な人物にまつわる興味深い逸話をいくつかご紹介します。

  • ピエロ・ダ・ヴィンチの私生児として生まれ、祖父母の手で育てられました。
  • 左利きで、左手で文字を書きながら右手で絵を描くこともできたと言われています。
  • 鏡でなければ読めないほど、文字を逆向きに書く癖がありました。
  • 大学には通わず、教育は師アンドレア・デル・ヴェロッキオのもとで受けました。
  • 肉を食べず、檻に入った鳥を買っては野に放っていたといわれています。
  • 史上初の自転車の設計図を描いたのもレオナルドだと言われています。

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