古代の歴史

信じられない冷戦の実話:ソ連MiG-21がRF-4C偵察機への体当たりを決行した日

信じられない冷戦の実話:ソ連MiG-21がRF-4C偵察機への体当たりを決行した日

国境の空で起きた「知られざる」遭遇

1973年11月28日、イランとの国境に近いソ連領空で、今日ではほとんど語られることのない事件が発生しました。当時のイランは西側陣営の一員であり、その国土は、ソ連の「柔らかい下腹部」と呼ばれる地域へ偵察飛行を行うための絶好の拠点となっていたのです。

「ダーク・ジーン(Dark Gene)」作戦の一環として、特殊な音響探知装置を搭載したRF-4偵察機による飛行が定期的に実施されていました。事件当日の朝、イラン人乗員モハンマド・ソクニアと、電子戦システム担当のアメリカ人士官ジョン・サンダースが搭乗したRF-4が離陸。その目的は、ソ連防空網の実力を試すテスト飛行であると同時に、イラン側乗員をこの機種や任務内容に慣れさせることにもありました。

CIAが関わった極秘プログラム

「ダーク・ジーン」作戦は、1960年代から1970年代後半にかけてCIAの協力のもとで推進された計画です。1971年には、光学式・音響式の偵察システムを備えたRF-4Cが24機、アメリカからイランへ供与されました。機体には空対空ミサイル4発も搭載されており、単なる「空の目」以上の存在だったことがわかります。

通常、RF-4Cによる偵察飛行は月に2回程度のペースで、少数の米伊混成クルーによって行われていました。

スクランブル発進したMiG-21

事件当日の朝、ソ連のレーダーは侵入機を捉え、当時のグルジア(現ジョージア)にあるヴァジアニ空軍基地に警報が響き渡りました。ここには第982戦闘航空連隊が展開しています。35歳の部隊副指揮官ゲンナジー・エリセーエフは、即座にMiG-21戦闘機で緊急発進し、目標へ向かいました。

ソ連機は相手に対して速度面で大きく劣り、なかなか追いつくことができませんでした。しかし、RF-4Cがソ連領空から離脱しようとしたまさにその瞬間、ようやく敵機を射程圏内に捕らえることに成功します。エリセーエフはファントムに向けてK-13空対空ミサイル2発を発射しましたが、残念ながら命中させることはできませんでした。

最後の手段――体当たり

興味深いことに、エリセーエフは機関砲を使用しませんでした。おそらく砲が故障して使用不能だったためと考えられます。そこで彼が下した決断は、敵機への体当たりでした。そして、それを実行に移したのです。激突は凄まじく、MiG-21はパイロット諸共空中へと消えていきました。

一方のRF-4Cも深刻な損傷を負い、きりもみ回転に陥ります。それでも2人の乗員は脱出に成功し、一命を取り留めました。ただし、地上に降り立った彼らを待っていたのは、ソ連国境警備隊による逮捕でした。約2週間の拘束の後、イラン領内に墜落したソ連の人工衛星との引き換えという形で、2人はイランへ送り返されることになります。

事件の後、二人を待ち受けていた運命

ソクニアはその後もイラン空軍で勤務を続けましたが、1982年、イラン・イラク戦争のさなかにイラク軍のMiG-21によって撃墜されました。一方、エリセーエフが死後に手にしたものは……「ソ連英雄」の称号でした。


信じられない冷戦の実話:ソ連MiG-21がRF-4C偵察機への体当たりを決行した日