
1982年、当時ガルティエリ将軍率いる軍事政権が支配していたアルゼンチンが、イギリス領フォークランド諸島を奇襲占領したことで、フォークランド紛争が勃発しました。アルゼンチン側の予想に反し、イギリスは即座に反応し、諸島奪還のための部隊を派遣することになります。
サン・カルロス湾へ向かったダガー3機
諸島上空とその周辺では激しい空中戦が繰り広げられました。その一つが、1982年5月21日に発生した戦闘です。当日午後早く、アルゼンチン空軍第6追撃飛行隊所属のダガー戦闘機3機が、東フォークランドのサン・カルロス湾にいるイギリス艦船を攻撃するため離陸しました。この機体は、フランス製ミラージュ5をイスラエルがライセンス生産したものです。
パイロットは中隊長ギジェルモ・ドナディレ、カルロ・フスト・プーマ、そして下級士官ホルヘ・センの3名でした。離陸から約1時間後、ダガー編隊は目標海域に到着します。それ以前にも、イギリス艦船に対する攻撃は何度か成功していました。
待ち構えていたイギリス軍
しかしこの時、イギリス軍は既に準備を整えて待ち構えていました。「目標まで約1分というところで、右側を飛ぶ航空機に気づき、仲間に警告しました」とドナディレは語っています。彼は当初、それをA-4スカイホークだと思っていました。しかし、その航空機がセンの機体への攻撃態勢に入った瞬間、全員がそれがイギリス海軍のシーハリアーであることに気づいたのです。
「爆弾と増槽(燃料タンク)を投棄しろと全員に命じました。あれだけの搭載物では、俊敏なイギリス戦闘機の攻撃に対処できるほど素早く機動できなかったからです」と中隊長は述べています。
30mm機関砲だけが頼りの死闘
アルゼンチンのダガーは、重量と燃料消費の関係から、爆撃任務時には空対空ミサイルを搭載していませんでした。したがって、頼れる武器は30mm機関砲のみでした。センが最初にイギリス機へ旋回すると、そこにさらに別のシーハリアーが現れます。
「ハリアーは私の30mm機関砲、唯一の武器の射程外にいましたが、あえて発砲しました。イギリス人パイロットの注意をそらし、センへの攻撃を断念させたのです」とドナディレは語ります。
イギリス機は針路を変えて高度を下げました。ドナディレは相手が現れそうな場所へ機首を向けます。高度わずか100mという超低空飛行でした。「視認できないまま、相手が現れるだろうと思われる位置に向けて再び発砲しました。すると突然、目の前を横切ったのです。後を追うために地面すれすれまで降りましたが、ハリアーは私の弾幕を抜けていきました。あまりの低空飛行だったため、一瞬、相手の機体が地面に激突したのかと思ったほどです」
ミサイル命中、そして脱出
「何とか高度を上げたところで、センの機体と衝突しそうになりました。すると突然、ミサイルが私の機体に命中し、射出座席で脱出しました」とドナディレは説明しています。その直後、残る2機のダガーも炎に包まれて墜落していきました。しかし、パイロットたちはいずれも脱出に成功し、3名とも味方部隊に救助されました。
801飛行隊のシーハリアー2機による撃墜
アルゼンチン空軍機3機を撃墜したのは、イギリス海軍航空隊第801飛行隊所属のシーハリアー2機で、操縦していたのはナイジェル・ウォード大尉とスティーブ・トーマス大尉でした。トーマスがドナディレ機とプーマ機を、ウォードがセン機をそれぞれ撃墜しています。すべてAIM-9Lサイドワインダーミサイルによるものでした。
「敵を追尾しました。最も近い機体にミサイルをロックオンして発射し、命中させましたが、墜落するところまでは見ていません。もう1機の追撃に忙しかったからです。相手は急上昇して逃げようとしました。私はサイドワインダーをロックオンして上方へ発射しました。ミサイルは敵機を追跡し、翼に命中しました」とトーマスは語っています。
「3機目のシーハリアー」をめぐる謎
ドナディレが攻撃した相手はウォード機でした。また、アルゼンチン側の資料には、ドナディレの攻撃を受けて間もなく墜落した「3機目のシーハリアー」の存在に触れるものもあります。ただし、この件についてはイギリス側は確認しておらず、真相は定かではありません。