もしソ連がヒトラーに降伏していたら、ドイツはヨーロッパ大陸のほぼ全域を支配下に置き、英米連合軍がそれを打倒することは極めて困難になっただろう。これが第二次世界大戦中、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が抱いていた考えだった。
そしてルーズベルトこそ、戦争期間中に何千機もの航空機、戦車、大砲、自動車、さらには数百万トンに及ぶ資材や食料をアメリカからソ連へ届けさせた、その背後の立役者でもあったのである。
「ヤンキーがやって来る」――アメリカの支援
アメリカによる対ソ支援の歴史は、大きく二つの段階に分けることができる。
第一段階は、ドイツによるソ連侵攻(1941年6月)から1942年9月30日まで続いた。この時期に供与された物資は、金と原材料によって支払われた。
第二段階では、物資の供与条件が緩和され、アメリカ国外への輸送が本格化した。この段階は1945年9月20日まで続き、物資は北極海、太平洋、そしていわゆる「ペルシア回廊」の3つの経路を通ってソ連へ運ばれた。
アメリカがソ連に供与した物資の総計
- 航空機:11,400機
- 戦車:7,000両
- その他の装甲車両:6,303両
- トラックおよびジープ:427,284台
- オートバイ:35,170台
- その他の汎用車両:2,328台
- 石油製品:2,670,371トン(赤色空軍が使用した航空燃料の57.8%に相当)
さらに、食料4,478,116トン、蒸気機関車1,191両、ディーゼル機関車66両、貨車10,920両、装甲車両120両も供与された。加えて、送られた弾薬はソ連の備蓄量の53%に相当する規模だった。
驚くべきことに、タイヤ工場一つが丸ごとソ連へ移転された例もある。供与された物資の総額は、当時の価値で110億ドルに達した。
イギリスの貢献
ソ連を支援したのはアメリカだけではない。イギリスもまた、ドイツのソ連侵攻直後から支援を開始していた。
イギリスがソ連に供与した物資は以下の通りである。
- 航空機:7,000機以上
- 小型艦艇:27隻
- 戦車:5,218両
- 対戦車砲:5,000門以上
- 救急車および汎用トラック:4,020台
- 移動式乗組員用トラック:323台
- 軽装甲車(ユニバーサル・キャリア):2,500両以上
- オートバイ:1,721台
- レーダー:1,474基
- 無線機:4,338台
- 海軍用レーダーおよび探知装置:600基
- 航空機エンジン:当時の価値で11億5,000万ポンド相当
- 艦砲類
さらに物資や軍需品は総計400万トンに上り、ブーツ1,500万足まで供与された。
西側の支援なしに勝利はなかった
ソ連軍は勇猛に戦い、ドイツ軍に対して甚大な損害を負いながらも戦い抜いた。しかし、この大きな出血の主な原因は、とりわけ開戦初期における指導部の悲劇的な誤りにあったと言える。
そして決して忘れてはならないのは、ソ連が単独でドイツを打ち破ったわけではないという事実だ。西側連合国は可能な限りの支援をソ連に送り続け、それが東部戦線での勝利を支えたのである。