
太陽王ルイ14世、ヨーロッパを震撼させる
1680年代のフランスは、ヨーロッパ最大かつ最強の国家でした。ルイ14世(太陽王)のもとでフランスは大陸最大の軍隊を擁し、領土を拡大し続け、二度にわたってオランダを打ち破っています。この強引な拡張主義はヨーロッパ諸国に大きな脅威となり、とりわけオランダ総督ウィレム3世(オラニエ公)が名誉革命によってイングランド王位に就いた後は、フランスに対抗する包囲網を築く機運が一気に高まりました。
大同盟の結成と開戦
決め手となったのは、プロテスタント(ユグノー)を保護していたナント勅令の撤回です。これを受けてプロテスタント諸国はルイ14世に敵意をむき出しにします。そして1686年、神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)、スペイン、スウェーデン、ネーデルラント、さらに複数のドイツ諸邦が参加する「大同盟(アウグスブルク同盟)」が結成されました。後にイングランド、バイエルン、ピエモンテ(北イタリア)もこれに加わります。
ルイ14世の応答は傲慢そのものでした。1688年、彼は軍隊にプファルツ地方への侵攻と徹底的な破壊を命じます。フランス軍は家屋や村落、都市全体を焼き払い、次々と平地化していきました。同年12月20日、ヴェルサイユから前線の将軍たちへ「破壊作業を急げ」との指令が届いたのです。
ハイデルベルク、マンハイム――燃え尽きた古都たち
歴史あるハイデルベルクにも火が放たれました。幸い、住民は事態を察して備えており、フランス軍が去った直後に懸命の消火活動を行い、奇跡的に街を守り抜くことに成功しています。
しかしマンハイムの運命は違いました。条約によってすでにフランス軍に引き渡されていたこの都市では、住民がアルザスへの移住を強制され、市街は完全に破壊されました。当時の命令書には、こう記されています。
「国王は全住民をアルザスへ移住させ、市内のすべての建物を取り壊すことを望む。立ち残るものは何ひとつ残してはならない」
帰還を試みた者や消火に努めた住民は、フランス兵によって容赦なく殺害されました。続いて歴史ある古都ヴォルムス、シュパイヤー、オッペンハイムも破壊され、住民たちはアルザス、ロレーヌ、ブルゴーニュへと追い立てられます。さらにビンゲンも平地化されました。特筆すべきは、都市のみならず周囲約16キロメートルに及ぶ農村部まで根こそぎ破壊されたという点です。
過酷な報復の連鎖
このような状況にあれば、ドイツ側の住民がフランス軍に残酷な報復を行ったとしても不思議ではありません。小規模なフランス部隊が襲撃を受け、生存者ゼロとなることも珍しくなかったのです。一方、フランス軍も「怪しい」と見なした市民を処刑しており、互いに憎しみと暴力が連鎖していきました。
史上初の「世界大戦」は、本当に「レース」のような戦争だったのか
こうして勃発した大同盟戦争(1688~1697年)は、スペイン(ピレネー)、フランドル、ライン川流域、北イタリア、アイルランド、スコットランドというヨーロッパの六つの戦線で同時に戦われました。さらに海外では、北米でフランスとイングランドが、アジアやカリブ海ではイングランド・オランダ・フランスが衝突しています。まさに史上初の「世界大戦」と呼べる規模でありながら、その実態は従来の戦争と同様に苛烈で破壊的なものでした。
にもかかわらず、今日の歴史家の一部はこの戦争を、儀礼的で華奢な駆け引きにすぎない「レース戦争」の一つとして位置づけることがあります。しかし、灰燼に帰したプファルツの街々を思えば、その美称がいかに実態からかけ離れていたかは明らかでしょう。